三田の丘に立つ、煉瓦造りの図書館旧館。そこに福沢諭吉の生涯と慶應義塾160年の歴史を学べる慶應義塾史展示館がある。訪れたことのない塾生も多いと聞く。三年になり勉強や就活で疲れた時、僕はよくここで羽を休める。素敵な場所だ。ぜひ一度来てほしい。
展示館に入って、右手のビデオが、ある塾生の逸話を紹介している。
明治の中頃、演説館の横から三田の丘を下る、草と小石が混じる小道の映像。そこで、通り過ぎる教師に慌てて丁寧にお辞儀をした塾生が、後ろにいた老人から声をかけられる。「うちでは教える人に途中で会ったぐらいでお辞儀をしなくていい。教師も“古い”生徒で、おまえさん方の仲間、いわば”同格”だ」と。師弟の別を超えた教えの主こそ、創立者・福沢諭吉だった。
“同格”という言葉が僕の心に刻まれている。これは決して礼儀作法を否定する話ではない。学問を志す者同士、身分や地位など表面的な属性に囚われてはいけない。同じ人間として互いに配慮し、侃侃諤諤の議論を重ねる。そうして共により良い人生・社会を追求することが、福沢・慶應義塾の哲学だ。
現代は、SNSやインターネットの普及によって、人類史上最も多様な価値観や生き方が可視化された時代だろう。就職先やライフプラン、外国人との共生、ジェンダー観といった、社会を構成するあらゆる要素が多様化している。そこで私たちは安易な属性や指標に頼って、他者を判断し優劣をつけてしまう。
意識すべきは人間性、誰もが生まれながらに等しく持つ、かけがえのない尊厳だと僕は考える。異なる背景や事情、感情を持つ人々が、その尊厳を認め合った上で、違いを乗り越え相互に理解し、諦めずに対話を試みる社会。それこそが福沢諭吉が、三田のあの細い坂道で説いた”同格”の道の先にあるはずだ。
(徳永皓一郎)