情報と安らぎを 人々に寄り添う図書館

震災当時、情報が一番集まっていたのは避難所だった。通信回線が途絶え、水も食糧も乏しく、生きるために少しでも多くの情報が望まれた状況で、人々は心の休まるところを欲していた。

気仙沼図書館
図書館宮城県気仙沼図書館は、震災から約3週間後の3月30日に再開館した。閲覧のみで、開館時間は一日数時間。地震の影響で2階や児童用閲覧室は使えず、貸出システムも機能しない中での開館だった。

「図書館だからこそ、どんな人でも入れると思います」。気仙沼図書館主査、山口和江さんは語る。逼迫した状況下で、息苦しさを和らげるには図書館が必要だという市の方針を受けた開館だった。

震災発生から一週間ほど、図書館の職員は自宅から近い避難所で各々対応に追われていた。開館が決まり、戻れる職員は床に落ちた本を片付ける作業から始めた。山口さんは最初、避難所を離れることに動揺したという。「10日前後の短い間とはいえ、対応した避難所の知識や情報を持っていた。そういう人が抜けることで、避難者の対応に遅れが出ないか若干不安だった」と山口さんは言う。

図書館まで行くのも一苦労だ。職員の中にはがれきで足元が悪い中、図書館と避難所を行ったり来たりする人もいたという。
それでも図書館を開ける意味はあった。避難所から分けてもらった新聞を読むため、また息苦しさを少しでも和らげるために図書館に訪れる人はいた。自宅で避難している人は、情報を求めに避難所や役所には行きづらい。自宅や家族を失った人がそこにいるからだ。

児童用閲覧室として建てられたプレハブ小屋「あおぞらるーむ」
児童用閲覧室として建てられたプレハブ小屋「あおぞらるーむ」

こうした努力を続ける中、世界中から支援物資が届けられた。新品の書籍や漫画、また新学期を前に、辞書や問題集を車に載せて配った。「人手が足りず、支援物資を開けるタイミングが難しかった」と山口さん。配れなかった物資の中には書籍以外に手帳などがあり、思いを紙に綴りたいという要望にうまく応えられないことがあったという。

通信機能が復旧し、貸出が可能になったのは6月。開館時間は夜7時まで延ばした。その後、被災して使用できなかった移動図書館の替わりに新しいものが寄付され、児童用閲覧室として外にプレハブ小屋が建てられた。今も支援は途切れることがない。

山口さんは「図書館はそこに“ある”だけでいいのかもしれない」と語る。図書館は情報提供の場であると同時に、存在するだけで人の心を落ち着かせる空間だ。震災という特殊な状況で、人々は心のよりどころを探していた。当時、図書館を利用したことがない人も来たという。それだけ図書館は人の生涯に寄り添い、人の心に自然と存在している。

現在も図書館の2階や児童用閲覧室は使用禁止のままだ。壁や柱には亀裂が入り、震災の爪痕はいまだ残る。しかし今後、新しく建て直す予定だという。「世界中から多くの支援を受け、震災の傷を乗り越えてきた。建て直しはその大きな一歩」と館長の千田基嗣さんは言う。

震災時に人々に寄り添った気仙沼図書館。壁や柱の傷はなくなっても、震災の記憶がなくなることはない。気仙沼図書館は震災の記憶を記録・保存し、これからも人々と共にあり続けるだろう。
(武智絢子)