
慶大に通うマイノリティの実態に迫る連載。
今回は「外国ルーツの学生」が受ける居心地の悪さや差別・偏見について取材した。
「外国人学生」でなく、「外国ルーツの学生」としたのは、差別や偏見を受けるのは、留学生や外国籍の学生だけではないからだ。ミックスルーツの学生や、在日コリアンなどの日本に住むさまざまな背景を持つ学生もこれらの対象になりうる。
慶大で多文化・異文化間教育を専門とする杉原由美准教授に話を聞いた。
●排外的発言 授業内でも
―受講していた授業で、「日本の東アジアにおける植民地支配」の話題が出たとき、嫌韓・嫌中発言をする学生がいました。
前提としてそのようなテーマを扱う際は、授業設計の段階で学生から排外的な発言が出ることを予想しなくてはなりません。排外的な発言が諫められることなく、授業が進んでしまったのであれば、教員側の甘さだと考えます。
自身にも同様の経験があります。授業で排外的な発言が出たときは、排外的な思想を持つ学生をどうするかというより、そうではない他の学生に、どのような形で「差別を許さない姿勢」を見せるかが重要だと感じます。
●「日本語上手ですね」に隠れた差別的態度
―外国ルーツの学生たちは、生活の上でどのような差別・偏見を受けることがあるのでしょうか。
差別を考える上でまず、「マイクロアグレッション(小さな攻撃性)」という概念を共有します。
マイクロアグレッションとは、「発する側には差別や攻撃の意図がない言動でも、実際には対象や対象の属性を中傷する意味合いが含まれており、それゆえに言葉の受け手が傷つくもの」を指します。
例えば、外国ルーツの学生はよく「日本語上手ですね」と言われることがある。発する側からすれば、「褒め言葉」「ねぎらい」などのポジティブなものと考えるでしょう。
しかし、本来対等であるはずの二者間で、一方的に相手の言葉を評価することは、自身に相手をジャッジする権利がある、相手より優位な立場にあるという態度の表れです。
「正当な日本語話者」とそうでないとみなされた相手を無意識に分けることで、相手を異質な者とし、上下関係を作ったり、排除したりしてしまっているのです。
また、「あなたの出身国ではどう?」「○○人だからこういう行動をするんだね」など、ことあるごとに出身国やルーツの国に結びつけた発言をすることも注意が必要です。
これは「○○人である」とみなした対象を、国と結びつけて単純化し、その人個人の複雑性をないがしろにしています。
マイクロアグレッションは、受ける側と発する側の非対称性に注目しなければなりません。
発する側は、頻繁に発言するわけではありません。しかし、受ける側は繰り返し同様の発言を受ける中で、違和感や不快感が積み重なっている可能性があります。
●「自分は平気」でも…当事者間のギャップに注意
―自身も留学時代、「アジア人」として意見を求められることがありました。
マイクロアグレッションの感じ方は、当事者間にギャップがあります。
例えば、留学生の中には「○○語上手ですね」や「あなたの国ではどうなの?」という発言が平気である、という人もいるでしょう。しかし、滞在の形式や期間の長さなどに応じて蓄積される、「異質な者として扱われる経験」に大きな差があります。「自分は平気」という言葉によって、苦しんでいる人の声をかき消さないことが必要です。
●第三者の行動が要
差別を受けた当事者が行動を起こすことは、強い負担になることが多いです。だからこそ、第三者が「これはおかしい」と気付き、変えていくことが重要です。
授業で差別的な言動を見かけたら、授業アンケートに記入したり、学生部に相談したりするなどの対応が考えられます。
友人間でマイクロアグレッションに気が付いたら、冗談で済ませずに、違和感を表明することが大切です。「え?」など、軽いリアクションでも違和感を示すことになり得ます。
●「常識」が生む不均衡を捉える
―日常に生じる不平等に気付くにはどのような心掛けが必要ですか。
差別に加担しないために有益な視点は二つ。マイクロアグレッションと、クリティカルアプローチです。クリティカルアプローチとは、社会の常識を疑い、マジョリティとマイノリティの間に、どのような不均衡な力が働いているか見定めることです。
つまり、差別的な言動を無意識に行った人そのもののせいにするのではなく、その言動の拠り所となっている社会の常識に目を向け、差別を生まない在り方を共に学ぶのです。
そして、別のやり方で関係性を構築することを目指します。
現在、若い世代の外国人・外国ルーツの人の数は顕著に増加しています。しかし、マイノリティが生活しやすい社会は、マイノリティの人数が増えるだけで生まれるわけではありません。社会が意識的に変化していく必要があります。

●慶大生も受けるマイクロアグレッション
以下は杉原准教授に寄せられた、外国ルーツの学生が受けたマイクロアグレッションの例だ。
・研究会や友人との日常的なやりとりにおいて、「外人」という排他的なメッセージを含む言葉がよく使われる。
・同様に、〇〇国(自分の出身国)や外国人全体への偏見的な発言を聞くことがままある。「あ、でも、あなたは○○人の中でも例外だよ」というように例外扱いの優遇を施されても、排他的なメッセージが伝わってくる。
・「『外国人である』という理由で家を借りるのが難しい」という困難を友人に打ち明けると、「努力が足りないのでは」と、社会システム的な不平等を矮小化されてしまった。
また、SFCの学生寮では次のようなトラブルがあったという。
寮の管理に携わる学生らが「夜中に騒がないで」という内容の注意喚起の掲示を簡単な英語のみで行った。すると、「英語話者のみに向けた注意書き」と受け止めた留学生から、「騒いでいるのは留学生だけではない」という声が寄せられた。
当該学生らは、「掲示した内容は簡単な英語であり、日本人でも理解できると考え、英語のみで行った。誤解を招く表現であった」と釈明し、解決に至った。
これについてSFC学生支援の担当者は
「日本の学生、留学生、どちらにも伝えたかったようだが、誤解を招いてしまったようだ。問題点を認識し、その後の寮の運営に活かしていると聞いている」と話した。
マイクロアグレッションは、「自分は差別をしない」と思っていても、無意識のうちに行ってしまう可能性がある。問われるのは、マイクロアグレッションに気づけ、改善に向けた対話ができるキャンパスかどうかだ。
当事者でない人は特に、マジョリティとマイノリティの間に存在する「不均衡」に注目し、排他的な言動を見かけたときには違和感を表明することによって、キャンパスを誰にとっても居心地の良い場所に変えていく力がある。
(飯田櫂・高梨怜子)