
●四度目の正直、塾生代表選成立
慶大では6月21日、5月に実施された塾生代表選挙にて最多得票を得た岩切大志氏(経済3)が塾生代表に就任した。過去3回の選挙において投票数が満たず不成立となっていたことを背景に、今回は一つ大きな変更がなされた。それは塾生代表選挙に投票した有権者に対する、大学生協200円割引券の配布という制度の導入である。
塾生は毎年学費と共に750円の自治会費を全塾協議会に対して納めているが、今回はその還元に踏み切った。自治会費750円という値段は50年以上前から据え置かれている数字であり、学生団体による活動の多様化、物価の上昇に見合った見直しの要請は強い。しかし学生部は、自治会費は全塾協議会ではなく、自治会によって決されるべきであるとしてこれを拒絶している。では、この耳なじみのない自治会という組織は一体何なのだろうか。それを理解するには、慶大の学生自治の歴史を振り返る必要がある。
●日吉・三田にも存在した「自治会」
現在、全塾協議会は慶大唯一の全学的学生自治組織を名乗り、各種業務を行っている。しかしながら、過去には全塾自治会という組織が存在し、全塾協議会はもともと単なるゼミ・サークル代表者の連絡会にすぎなかった。全塾自治会は各学部各キャンパスの自治会によって構成され、現在の全塾協議会のように大学当局との交渉や、自治会費の配分を行っていた。これは、現在全塾協議会の下部団体に「四谷自治会(信濃町キャンパスの自治会)」、「芝学友会(芝共立キャンパスの自治会)」や「湘南自治会」があることからも推察できる。ここで、2006年に慶大と合併した共立薬科大学の自治会を引き継いでいる後者を除けば、実質的に信濃町でしか自治会が組織されていないのはなぜかという疑問が生まれる。
実は、1980年までは日吉自治会が、1973年までは全塾自治会(実質的な三田自治会)がほぼ毎年成立していた。しかし、学生運動の激化していた昭和の大学情勢のもと、3つの大きな事件に直面し、塾生からの支持をすり減らしていったのである。
一つは1965年に発生した学費大幅値上げ問題である。入学金・授業料の値上げに加え、施設拡充費の新設、さらに10万円の塾債の購入が義務化されたことにより、初年度納付金は実に3倍増となった。全塾自治会は当然これに反対し、ストライキを決行したものの、塾債の購入が任意になると塾生は受け入れに傾き、なおも全面撤回を求める自治会との温度差が生まれることとなる。
さらに1972年にも、同じく学費値上げ反対闘争が発生する。しかしながらまたしてもストライキに固執する全塾自治会は塾生の、特に卒業を控えた三田の塾生からの批判を浴び、結果的にリコール勧告を受けた全塾自治会は崩壊。これ以降自治会は日吉でのみ存在することとなる。
最終的に1981年、宗教に関連する団体がもう一つの日吉自治会を名乗り、互いに批判合戦を行う中で自治会は完全に塾生からの信望を失い、二度と結成されることはなかった。
●全塾協議会、苦難の道のり
自治会が組織されないことにより、塾内では様々な問題が噴出した。その最たる例が自治会費予算の作成及び配分である。自治会から予算配分を受けている部活やゼミにとっては、予算が下りないということはすぐさま活動に支障をきたすことを意味する。そこで任期を終了した自治会の財務部が、予算の作成のみ引き続き行うという苦肉の策に出る。その正当性を担保するために部活やゼミの担当者によって組織されたのが、全塾協議会なのである。実際に、設立メンバーである「文化団体連盟本部(サークルの連合体)」「體育會本部」「全塾ゼミナール委員会」「四谷自治会」「全国慶應学生会連盟(地方出身者の支援を行う組織)」は今でも全塾協議会における「自治団体」と呼ばれ特に重視されている。
つまり、全塾協議会が財務に関する権限を執行しているのは、成立段階から現在に至るまであくまで暫定措置であり、それが既成事実化しているに過ぎない。事実全塾協議会は自治会規約を有名無実として無視し続け、あくまで現実に即した運営を行ってきた。そのため自治会費の値上げも、代理徴収を行う学生部から拒否され続けているのである。
全塾協議会が事実上自治会を代行した1980年代から、慶早戦支援委員会や三田祭実行委員会といった福利厚生機関も加盟し始める。それに伴い、全塾協議会は最大の問題に直面する。それが1987年に発生した、塾生会館の建て替え問題である。
全塾協議会に加盟しない独立団体は、異議を唱える場もなく旧サークル棟である3号館からの強制退去を強いられた。全塾が大学当局との会談の末同意したためであったが、なぜ自治会でもない全塾協議会が勝手に同意をするのかという不満が噴出したのである。これを機に全塾協議会はその体制を全面的に見直さざるを得なくなり、その結果として1993年に全塾協議会の事務局長・次長の公選制を導入。これが2016年に設立された塾生代表という制度につながっていくのである。
●学生自治の行く末は
こうして新設された塾生代表は、全塾協議会の代表者として予算案を承認するなどの大きな権限が与えられた。さらに去年には塾生議会も導入され、より塾生の意見を広く反映できる体制が整えられている。しかしながら、塾生の学生自治に対する関心は年を追うごとに低下している。その最たる例が、塾生代表選挙においても投票率が10%を下回り不成立となる場合が増えていることだ。
現在の規約では、仮に塾生代表選挙の不成立が続くなかで塾生代表が卒業してしまった場合、全塾協議会は解散しなければならない。このような不安定な情勢がつづくことは学生自治の達成に大きな支障をきたしかねない。塾生においては、学生自治が自らの大学生活を送るうえで必要不可欠であることを再認識し、当事者意識をもって関わっていかねばならないのである。
参考文献
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/post-war-pictures/201912-2_2.html
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/post-war-pictures/201912-1.html
(山田裕介)