
大学の学費問題にせまる連載、第4回である今回からは学生、大学、行政と実際にこの問題に関わる当事者たちに話を聞いていく。その中で今回は、「学費値上げ反対緊急アクション」のメンバーで、「全国から学費値上げ反対の声を上げる学生有志」として活動している金澤伶、佐野元昭-昭代の両名に取材を行った。 「学費値上げ反対緊急アクション」には、東京大学の学費値上げに反対する東大生の有志が集まっており、非暴力を堅持して、ワンイシューで連帯してきた。安田講堂前でデモや抗議集会を開催するなどの学内運動の他、署名を行って輿論を喚起したり、2024年6月14日に院内集会を主催し国に対しても要求を行ったりした。 このように2024年度に実際に学費値上げ反対運動に立ち上がった、東大、広大、大阪大、熊本大、中央大、武蔵美大などを中心に、134以上の大学等の学生が結集し、2025年2月13日と5月8日に院内集会を行い、超党派の国会議員や省庁担当者と要請書を手交した。その後も、「全国から学費値上げ反対の声を上げる学生有志」として、参議院選挙に合わせ候補者への学費アンケートを行い、6月13日に記者会見を実施するなど、精力的に活動を展開しており、超党派かつ教員や市民とも緩やかに繋がって高等教育費拡充を目指している。下記は取材を受けたお2人のそれぞれの意見を伺ったものであり、統一的な見解ではないことに留意してほしい。
●国の金銭的支援と大学の説明不足がもたらす学費問題
学費問題に関して、その問題の所在は大学のガバナンスと国策、その両方にあるとお2人は指摘する。そもそもの問題としては国からの大学への金銭的支援が不十分であることだと考えているようだ。事実、国立大学への運営交付金の予算額は平成16年度から段階的に、令和3年度までで計2割ほど減らされている。一方で、それにより予算の逼迫に直面した大学側が学費値上げという手段を、半ば強引に取ったことにも問題があるという。例えば東京大学では、学費値上げという結論が半ば確定した状態で教授会が開催され、教養学部学生自治会、その他の有志団体や有志個人に至ってはその意思決定プロセスにかかわることもなかったそうだ。これら意思決定の流れに加え、そもそも東大であれば学費値上げによる収入増は1%ほどであることを考えると、解決策としての学費値上げのそもそもの妥当性も問われる。実際、国立大学の収入における学費の割合は13%程しかなく、大半は国からの運営費交付金及び附属病院の収益である。また、学生が学費の話に携われないという点では、スライド制(外部の物価指数等に準じて学費を自動で上げる制度、詳細は連載第2回参照)を採用している慶大にもその問題は存するといえる。
●大学収支状況から見る学費問題
将来的に学費値上げの要因となる可能性のある少子化による学生数の不足の大学の収入減にも、佐野氏は否定的な見方だ。今後社会人学生や学び直しなどの需要が増加し、18歳以外の大学入学者が増えることで、定員は充足できると考える。また、教育の質を上げるための学費値上げに関しても、金澤氏は千葉大の例などを踏まえ、学費値上げが必ずしも教育の質向上につながらないため慎重な立場だ。一方で、現状日本のアカデミアの問題とされている研究職の待遇改善や、大学において少人数の能動的学習等を推進するための教職員の増加、などの点で大学に求められる支出が増えることについては認めている。しかしそのような支出増の財源についても学費値上げでなく、あくまで国が賄うべきだと考えている。そのような点で、本記事の最初に挙げたような学生、大学、行政という3つのアクターに分けるのではなく、あくまで大学(大学当局)と学生は共に大学としてこの問題に臨むべきだと話す。

●実態に則さない私立大の学費制度
学費問題において、私立大学に通う学生は裕福であるという当の学生含む多くの人のイメージにより私立大の学費値上げは比較的仕方がないという論調があるが、これには両氏とも実態に則さず問題であるという認識であった。その上で、慶大のスライド制による学費値上げについて聞くと両氏とも反対の立場であった。一般に私立大学の学費は国公立に比べ高く、慶大もその例外ではない。そのような中で、現段階で既に学費の支払いが厳しい家庭は当然存在するであろうことから、仮にインフレに準じた学費の値上げであっても学生へのさらなる負担を強いることになるというのが理由である。
●奨学金拡充の欠陥
また、文部科学省の審議会で伊藤公平塾長も主張していた学費値上げと同時に奨学金を拡充させる案についても、現行の奨学金制度を前提として2つの理由で反対だと言う。1つ目は現行の奨学金が申請主義であるという点だ。これにより、経済的に貧しい家庭の学生のみが多大なる負担を強いられることに加え、申請における成績や素行の様々な要件が重荷になる学生も存在するからだ。特に、障害や重い病気等を持っているとその重荷を負いやすくなる。2つ目は、奨学金の基準において、個人と世帯が紐づけられてしまっている点だ。多くの奨学金はその基準に世帯年収が含まれるが、学費を支払う余裕がある世帯だからと言って、必ずしも子が学費を出してもらえるとは限らない。経済的虐待ないしは、親が学費を出す意思がなければ、十分な年収をもってしても学費が出してもらえない。本来は経済力がなかったり親が進学に非協力的であったりと様々な理由で金銭的に進学が困難な学生「個人」を支援するはずのものが、裕福ではない「世帯」を支援するものとなり、奨学金の取りこぼしが発生すると主張する。
特にこの2つ目の理由について、金澤氏はそもそも現状の学費ですら高すぎると話す。昔は国公立大の学費は学生のバイト代で賄えるほどであったのに、現代では国公立私立共に学生が自身で払うにはあまりにも高額であり、それゆえいつしか両親や祖父母が出していることが半ば前提となってしまっている。しかしそれでは先に述べた親の非協力により進学を阻まれる可能性が十分にある。そのため、単に学費値上げの阻止だけではなく、最終的には大学生自身が賄える程度の額ないしは学費の完全無償化の実現が望ましいとしている。
次回の第5回では、学生と同様学費問題の当事者の一人である大学側への取材を行う。
(山田あやめ)