2025年の今、我々は非常に緊迫した世界情勢と向き合っている。終わりの見えないウクライナ侵攻や中東情勢の悪化、台湾有事への懸念や合衆国の政治的分断の深刻化など、国際情勢はコロナ禍以降緊張する一方だ。世界だけではない。国内に目を向けてもSNSにはデマやフェイクニュースが蔓延し、それらが人々の排外主義を煽り、ポピュリズムが民主主義に大きな影響を及ぼしている。
このような時代の変革期において、我々若者は何を考えて何を行うべきなのか、そもそも今世界で何が起こっているのかについて、慶大出身のジャーナリスト、池上彰氏に聞いた。
―――今日、世界情勢は混乱しています。こういった情勢の背景には、一体何があるとお考えですか。また私たち学生がニュースの本質を理解する為には、どのような視点を持つべきなのでしょうか。
世界情勢の背景や本質的な理解に必要なのは「世界史的な視点」です。君たち大学生は高校で世界史を学んできたはずですよね。その視点から世界を眺めてみると様々なことが見えてきます。
現代の世界情勢の成り立ちを考えるにあたっては、急速なグローバル化への反発がカギとなってきます。20世紀末に東西冷戦が終結して以降、世界が一つのマーケットになり、急速なグローバル化が進みました。そもそも冷戦中、米国中心の資本主義社会とソ連中心の社会主義社会では、貿易などの交流はほとんどありませんでした。そんな中、最終的にはソ連の崩壊という形で冷戦が終結しました。するとソ連によって社会主義経済を強制されていた東欧諸国が、経済的に豊かになろうとして一斉に資本主義経済を導入し始めたのです。そして西側の国と一緒になるために続々とEUに加わったのです。東欧諸国に限らず、ソ連自体もロシアになったら資本主義の国になり、中国も鄧小平の改革開放によって経済的には資本主義に近い形になった。このように、世界全体が大きな一つのマーケットのようになったわけです。これがいわゆる「グローバル化」であり、最初は世界中で歓迎されていました。しかしながら、グローバル化が進んだ資本主義社会では、「勝者」と「敗者」が出てくるわけです。
例えばアメリカにおいては、安くて高品質なモノが海外からたくさん入ってきて、国内産業が衰退し、失業者や低賃金労働者が大量発生してしまいました。そういった労働者はグローバル化に反発し、「アメリカファースト」を叫ぶトランプを支持するのです。また旧西側の欧州諸国においても、東欧から低賃金で働く出稼ぎ労働者が押し掛ける。そして彼らが自国の雇用をどんどん奪ったり、賃金が下がったりして、グローバリズムやEUへの反感がどんどん高まりました。さらに2010年代後半には、EU諸国に中東からの亡命者や移民が押しかけてくるようになりました。移民のムスリムの人々がたくさん入ってくることによって、既存のキリスト教徒との宗教的・文化的な軋轢や衝突も生まれてしまったのです。英国のEU離脱もこのような背景があって起こったものです。こういった反グローバリズムの流れが、遅ればせながらとうとう日本にもやってきて、「日本人ファースト」を主張する政党が躍進しているのです。
このように今起きている出来事の背景も「世界史的な視点」から見てみると簡単にわかるわけです。
―――SNSの発達に伴い、フェイクニュースや陰謀論が氾濫しています。膨大な情報の中から信頼できる情報を見極めるために、特に気を付けるべきことや学生に実践してほしい事を教えてください。
まず、何故SNS上にこんなにも誤った情報が蔓延しているのかというと、SNSの普及に伴いこれを「武器」として用いようとする、ロシアや中国のような国が出現し始めたことが大きいと思われます。実際に英国のEU離脱や2016年の米国大統領選挙ではロシアがSNS工作によって、世論の扇動をしていたことが分かっています。また中国も台湾の中で親中的な世論を作り出すためのSNS工作を行っているとされています。このようにSNSは、工作員が偽アカウントやbotを用いて誤情報を拡散し、世論への扇動を行い、他国を自分たちに都合がいい様にする為の、「武器」となっているのです。
SNSと既存メディアの大きな違いの一つは、情報の検証の有無です。例えば私がNHKに入ったときに教えられたことは、検証できていない「情報」を絶対言うなということです。「情報」が本当かどうか、数ヵ所の情報源から確認が取れて初めて「ニュース」として報道しろと教えられました。一方でSNSでは、個人がそのような手間をかけることなくどんな情報でも発信することが可能なわけです。そのため、スピード感で既存のメディアが負けてしまうのは当然の話です。そうするとジャーナリズムに詳しくない人たちが「なぜオールドメディアはすぐに情報を出さないのだ!政府や企業に忖度しているのではないか」というようなことを言い始めます。彼らのような人が、真偽不明確な、刺激的である「情報」を拡散することで、「陰謀論」が生じるのです。
では、我々はSNSとどのように向き合えばいいのでしょうか。まず前提として、SNSやニュースサイトは提供されるコンテンツが各ユーザーの興味関心に沿ったアルゴリズムによって決められています。例えば私は、私物のパソコンでニュースサイトを開くと、国際政治の報道しか流れてきません。しかしながらそこにある新品のパソコンで先日うっかり芸能ニュースを開いてしまいました。するともう芸能ニュースばかり流れてきてしまうのです。今必死で国際ニュースをクリックしてパソコンに教え込んでいるところです。このような感じでSNSやニュースサイトというのは表示されている内容は人によって千差万別なわけです。しかしながら、我々は、自分が読んでいるものと同じニュースを、みんなが読んでいるとそう思い込んでしまいます。このようなネットのアルゴリズムによる認知のゆがみのことを「フィルターバブル」と呼びます。かつては、みんな新聞やテレビを通じて同じニュースに接していました。今は個々人で接しているニュースが全く異なることもあります。例えば私はいくつかの大学で教鞭をとっていますが、授業中によく伊東市長の学歴詐称の問題について話題にあげています。しかしこの問題はテレビや新聞では連日報道されていたにも関わらず、学生の三分の一から半分程度しかその問題を知らないのです。あ、こんなにも分断が進んでいるのだなと思いましたね。とにかく大事なのは、アルゴリズムによって勝手に入ってくる情報以外のニュースにも広く目を向けておくことです。紙の新聞を読むとかテレビのニュースを観たりしてみてください。
―――国際社会における現状の日本の立ち位置についてどのようにご覧になっていますか。また今後、日本は国際社会の中でどのような立ち位置になっていくとお考えですか。
これは非常に難しい話だと思います。トランプ大統領が誕生するまでは、日本は非常に楽であったわけです。なぜかというと戦後、日本は連合国に占領され、その影響を受けて新憲法ができて、アメリカナイズされた政治制度が再構築されました。そのなかで日米安全保障条約というものが結ばれたことで、日本も防衛はするけど何かあったときは米軍が助けてくれる、国防や東アジア問題はアメリカに任せておけばいいというシステムができました。このシステムの下、国防に関しては、ある種の思考停止の状態がずっと続いてきたのです。非常に居心地のいいシステムであったわけですが、トランプが大統領になるとそうとも言っていられなくなった。彼は防衛費増額などの要求を突き付けてくる。そしてもし中国が台湾に攻撃した際に、米軍が台湾を守るのかという質問にも一切答えず、それどころか「台湾は我々から半導体技術を盗んだ」と台湾を非難しました。このように、そもそも有事の際にはアメリカが助けてくれるという前提すらもが怪しくなってきたのです。
このように、戦後80年近く続いてきたシステムが弱くなってきている情勢において、日本は新時代に合わせた国防政策を再考する必要があると思います。無論、日米安保を前提としつつ、日本は日本自身でどのように国を守っていくのかということを考えなくてはいけません。そもそも日本人の多くが勘違いしていますが、日米安保条約によって、日本が攻撃された際に、まず米軍が助けてくれるというのは幻想です。安保条約の条文を読めば書いてあるのだけど、有事の際には合衆国憲法に従い、米国議会が援護や派兵について決めるということになっています。まずは日本が自分で対処し、その後米軍が助けに行くか決めるということなのに、始めから米兵が血を流して日本を守ってくれると考えている日本人は多いです。違うのです。まずは自衛隊が日本を守らなくてはいけないわけです。でも自衛隊員が血を流すということはあってはなりません。大事なのは日本が真っ先に攻撃を受けるような事態にならない体制をどのように構築していくのか。その様なことを、国全体で、しっかりと考えなくてはいけないわけです。
―――現在、世界の勢力図もアメリカ一強から、ロシアや中国などBRICSと呼ばれる国々の勢力拡大などによって大きく書き換わっている最中です。こういったパワーバランスの変化はなぜ起きているのでしょうか。そしてそのような時代に、我々日本人はどうすればいいのでしょうか。
これも世界史的な視点で考えることが重要です。日本は戦後急激な経済成長により21世紀には世界二位の経済大国になりました。そして現在、中国やASEAN諸国といった新興国に迫られ、追い抜かれそうになっています。世界史を振り返れば、急激に成長した国が衰退し、新しい国が覇権を取るというのは、古代から何度も繰り返されてきた構図です。古代ローマやモンゴル帝国など例を挙げると枚挙に暇がありません。19世紀から20世紀初頭までは「パクス・ブリタニカ(英国による平和)」と言われた通り、大英帝国が文字通り世界の覇権を握っていました。世界各地に植民地を持ち、ロンドンは世界経済の中心でした。それが第二次世界大戦後、英国の衰退とともに今度はアメリカが世界帝国として君臨し、「パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」となりました。しかし衰退は帝国の宿命です。ついにアメリカにも衰退の時が来たのです。トランプの代表的なスローガンである、「メイクアメリカグレートアゲイン」も暗に、もうとっくにアメリカはグレートではないということを言っているのです。
そんな中、現在中国が世界帝国になろうとしています。習近平は「中華民族の偉大な復興」という言葉をよく口にしている。この事から分かるのは、彼はかつての明を目指しているという事です。明というのは漢民族の築き上げた王朝でした。東南アジアからインド洋を通ってアフリカまで航海した鄭和に代表されるように、偉大な海洋帝国でもあったわけだ。
そんな明が北方民族である満州族に滅ぼされてできた王朝が清であり、その時代に英国に香港を取られ、ポルトガルにマカオを取られてというように、国土が列強諸国の食い物にされてしまった。そして中華民国になった頃にはすっかり弱くなってしまったというわけだ。だからこそ習近平は明の時代を理想としているのです。南シナ海の開発だって中国に言わせれば「明の時代にすでにここは鄭和が開拓したではないか」ということになるわけです。
このように中国は今アメリカに代わって新たな世界帝国になろうとしております。大きな歴史の転換点に、我々は立っているというわけです。
日本もバブル期までは経済力で世界を圧倒していたわけですが、現在は衰える一方です。世界史的に見れば、いかなる国も発展した後、縮小していきます。世界史ではこのような事例はたくさんあります。そしてかつての超大国、ロシアはソ連崩壊後、衰退の一途をたどっています。出生率も下がり、人口もどんどん減っています。そんな状況なので、プーチンはあれほどまでに焦ってウクライナを侵攻しているのです。もうあと何年か経つと、ウクライナと戦うことすらできなくなるかもしれないからです。実は中国も同様です。人口自体は多いですが、一人っ子政策の影響などで急激な少子高齢化が進んでいます。その状況を踏まえると、習近平には今のうちに中国を世界帝国にしなくてはいけない。こういった焦りが、現在の台湾情勢にも影響してくるわけです。
衰退していくこれからの日本の立ち回りについてですが、文化的な影響力を世界に広げていくことに注力していくのが非常に重要だと思います。国際社会において経済力や軍事力なども影響力を持つためには重要ですが、文化や価値観の共有も同じくらいに強い意義を持ちます。例えば、英国の文化的な影響力は計り知れないものがあります。まず大英帝国は世界中に植民地を持っていました。その結果、英語は世界共通語として話されています。またビートルズの音楽を聴いたことがない人はいないでしょう。このように、日本もアニメや漫画を「クールジャパン」として発信する取り組みのように色々なことをしていくべきだと思っています。これからは工業製品だけではなく文化資源を世界に輸出していくことが重要であり、次の世代を担う学生の皆さんの大きな課題になると考えています。
―――慶大での経験が、これまでのジャーナリストとしての活動でどのように役立ちましたか?
私が入学したのは1969年でした。当時は学園闘争真っ盛りであり、入学してすぐにストライキが始まりました。日吉キャンパスの並木道の入り口にバリケードが築かれ、教職員は入れなくなってしまったのですね。そんな具合ですから、大学に入学したものの、一向に授業は始まらなかったのです。そのため友人と日吉の喫茶店で勉強会を開催したり、自分で経済学の書籍を読み漁ったりするなど、ひたすら独学を行っていました。大学の授業がなかったおかげで、逆に「独学のやり方」というものは体得することができました。それを身に着けた結果、自分自身で勉強をすることが出来るようになりましたね。それは、社会に出てからも非常に役に立ったなと思います。

―――これから社会に出ていく塾生にメッセージをお願いします。
やはり「社会に出てからが勉強の本番」ということです。今思うと、大学での勉強というのは世の中の理論的な部分です。世の中がどうなっているのかということを抽象的に取り出したものに過ぎない。そういったものだけを並べたのが大学の授業であり、それだけを勉強しても実際の世の中について知らないと、やはり机上の空論以上のものではないわけですね。ではどうするかというと、社会に出てからも勉強はずっと続けてください。当たり前ですが世の中は日々進歩しているわけで、常に自分もアップデートしないと置いて行かれてしまいます。そのために、さっきの話ともリンクしますが、大学生の間にいろんな本を読んだり勉強をしして「独学のやり方」というものをしっかりと身に着けてほしいと思いますね。
(小野寺望)