日本初の女性宇宙飛行士として二度にわたって宇宙へ飛び立ち、現在は東京理科大学スペース・コロニー研究ユニット長として「宇宙で人が暮らす未来」を見据える向井千秋さん。
慶應義塾大学医学部の卒業生でもある彼女が歩んできた軌跡は、挑戦と学びの連続だった。学生時代の青春、宇宙での体験、そして後輩たちへのメッセージ――そのすべてに、夢を現実に変えてきた人の哲学があった。
■ スキーに明け暮れた学生時代——「文武両道」が教えてくれたこと
向井さんは慶大医学部在学中、医学部スキー部に所属していた。
「年間のほとんどを山で過ごしていました。夜行列車に乗ってスキー場から信濃町キャンパスへ向かい、試験を受けたらまた山へ戻る。あの頃は体力勝負でしたね」と笑う。
競技スキーに熱中しながら、学業も手を抜かなかった。
「試験に落ちると大会に出られない。それが嫌で、一発で合格できるよう必死に勉強しました」
山籠もりの合間に、夜行列車の車内で友人たちと試験問題を予想しながら勉強したというエピソードもある。
「机の上の勉強だけじゃなく、体を鍛え、人と協力することを学んだのが大きかった。スキー部で築いた人脈も、後の人生で何度も支えになりました」
学生時代を振り返る向井さんは、
「あの頃“忙しい”と思っていたけれど、今振り返れば学生は一番自由な時期」
と語る。
「社会に出ると、本当に自分の時間は限られる。だから学生のうちは、自分がやりたいことをどんどんやるべきです」
■ 宇宙から届いた一枚のファックス——母の涙と家族の想い
1994年、スペースシャトル「コロンビア号」に乗り込み、初の宇宙飛行へ。
当時、地上との連絡手段はまだファックスだった。短い通信制限の中、家族から届いた一枚の紙に、向井さんの心は大きく揺れた。
「母が“ロケットを止めてくれ”と泣き出したと書いてあったんです。いつも気丈で“どんどんやりなさい”という母が、そんなふうに泣いたと知って驚きました」
打ち上げを見上げながら、「娘はもう帰ってこられないのではないか」と泣き崩れた母の姿が、紙面越しに伝わってきたという。
「軌道上でそのファックスを読んだとき、母の深い愛情を感じて、胸が熱くなりました。地球の上に家族がいて、自分が宇宙にいる。あの瞬間に初めて、家族という存在の大きさを実感しました」
■ 過密スケジュールの中で磨かれた精神力
宇宙飛行士の訓練は、体力的にも精神的にも過酷だ。
「一番大変だったのはスケジュールの変動です。打ち上げ日が少しでも変わると、訓練計画を全部組み直さなければならない。訓練内容も、実験計画が変われば再調整です」
シャトルの不具合、天候不順、前ミッションの遅れ――ひとつの変更が全体を揺るがす。
「パズルを組み直すように、全員で予定を再構築する。その繰り返し。でも、そうした混乱の中でこそチームの真価が問われるんです」
訓練の仲間は世界中から集まる。文化も言語も違う彼らと、目標を共有して動く難しさを感じたという。
「でも一度、目的が一つになると、これほど強いチームはない。信頼関係があれば、国籍の違いなんて関係ない」
精神的なストレスについて尋ねると、向井さんは即答した。
「宇宙飛行士になるような人は、みんな“仕事オリエンテッド”。与えられた任務を120%やり遂げたいという気持ちで動いている。忙しすぎて、寂しいなんて感じている暇はないんです。人は暇になると、かえって不満を感じる。自分の力を少しだけ超える挑戦を続けてこそ、充実を感じられるんですよ」
“もう一歩だけ頑張る”——それが向井さんの信条だ。極限状態でも冷静さを保つ精神力は、日々の努力と小さな積み重ねから生まれていた。
■ 無重力空間のリアル——「三次元に生きる」面白さ
宇宙での生活は、地球とはすべてが違う。
「まず、物が落ちない。だから固定しないと何もできない。トイレの使い方も、食事の仕方も全然違うんです」
それでも向井さんは「不便さ」ではなく「面白さ」を語る。
「上下の概念がないから、どこでも自分の居場所になる。地球では床は一つだけど、宇宙では壁も天井も“床”になる。自由度が高いんですよ」
食事の話になると、少し笑顔がこぼれた。
「お気に入りは“シュリンプカクテル”。辛いトマトソースとホースラディッシュが効いた味。閉鎖空間では味覚が鈍るから、スパイシーな料理が恋しくなるんです」
宇宙で食べるその一皿が、束の間の「地球の味」だった。
■ 宇宙開発の最前線——日本の現在地と課題
「日本は高い技術力を持っていますが、宇宙開発への投資規模ではまだ欧米に及びません」と向井さんは語る。
「でも、日本人は創意工夫の力がある。だから民間と大学、政府が連携して、限られたリソースの中でも世界に通じる成果を出せる」
民間企業がロケットを打ち上げる時代。アメリカではスペースXが主導する「民間宇宙産業」が急成長している。その流れに対し、向井さんは「役割分担が大切」と強調する。
「民間ができることは民間に任せ、政府はリスクの高い長期投資に挑む。そして大学は、基礎研究と人材育成で支える。それぞれの強みを生かして連携していくことが、持続可能な宇宙開発につながります」
■ 「宇宙に暮らす」未来は、もう始まっている
東京理科大学で所長を務めるスペース・コロニー研究ユニットでは、「宇宙で人が暮らす技術」を研究している。
「水や空気をどうリサイクルするか、限られた食料をどう生産するか。衣食住のすべてを“閉じた環境”で持続させる仕組みが必要なんです」
それは、単に宇宙の話ではない。
「災害地や雪に閉ざされた集落、砂漠のような厳しい環境でも、人が快適に暮らせる技術。それが宇宙滞在技術の応用先なんです」
「私たちは“宇宙が地球を教えてくれる”という理念で研究しています。宇宙で生まれた技術を地球に還元し、より良い暮らしに生かす。宇宙開発は地球の未来を考える実学なんですよ」
■ 「教育こそが夢を形にする力」
取材の終盤、向井さんは学生たちに強いメッセージを残した。
「まず、自分が何をしたいのか、どんな人になりたいのか。夢を“ビジョン”に変えることが大切です。夢は描くだけでは実現しません。教育によって形になるんです」
「日本は、学びたい人が自由に学べる恵まれた国。けれど世界には、教育を受けられない子どもたちがたくさんいます。だからこそ、慶應に学ぶ皆さんには、その環境に感謝して、自分の可能性を思いきり伸ばしてほしい。」
向井さんは「教育は未来への切符」と語る。
「どんな分野でも、学び続ける力を持っていれば、いつでも新しい扉を開ける。私自身も医師から宇宙飛行士へと道を変えました。学びは人生を変える力です」

■ 「夢に向かって、もう一歩」
最後に、これからの慶應生へ贈る言葉を尋ねると、向井さんは静かに微笑んだ。
「“夢に向かって、もう一歩”。それが私のメッセージです」
「夢は一夜で叶うものではない。でも、今日できることを一つずつ積み重ねれば、いつか必ず届く。大切なのは、自分を信じて歩み続けることです」
宇宙という極限の場所を経験した彼女の言葉は、どこまでも現実的で、同時に力強い希望に満ちている。その姿勢こそが、向井千秋という人の真の魅力なのだろう。
地球を離れてもなお、彼女の視線は「人間」と「学び」の未来に向けられている。そしてその眼差しは、今この瞬間も、夢を追うすべての若者の背中を静かに押している。
■ 宇宙飛行士という「職業」ではなく、「生き方」
「宇宙飛行士は特別な存在だと思われがちですが、実はどんな仕事も本質は同じ。与えられた任務を全力で果たす、その積み重ねです」
向井さんはそう話す。
「自分の仕事に責任を持ち、周囲との信頼関係を築く。地上でも宇宙でも、人間の本質は変わりません」
宇宙を経験したからこそ、彼女の言葉は地に足がついている。
「宇宙から見た地球は本当に美しい。でも同時に、いかに脆くて小さいかもわかる。だからこそ、私たちはこの地球でどう生きるかを考えなければならない」
(青木万宙)