《平成30年の記憶》コラム 平成しかしらない塾生、ポスト平成を担う塾生

平成30年の記憶

世の中は「平成最後の○○」で溢れかえっている。「平成最後のバーゲン」など元号が変わったからと言って、特段変化が生じるとは考えられないことにまで用いられている。日本は今、空前の「平成の終わり」ブームなのだ。

「終わり」というのは、振り返る行為を伴う。無限大に延びる時間軸を区切ることで、その時間を捉えることができるからだ。筆者も平成を振り返ることにする。

平成9年生まれの筆者。無論、拓銀・山一証券の倒産を記憶しているはずがない。平成を代表する「ベルリンの壁崩壊」や「阪神淡路大震災」「地下鉄サリン事件」は、教科書で習う「歴史」だ。筆者の記憶の最下層は、平成13年の米同時多発テロだ。当時4歳だった筆者に衝撃を与え、今も鮮明に脳に焼き付いている。埠頭から臨む二つの煙突を遠い異国の摩天楼と錯覚したことさえあった。

物心がついた時から、インターネットは身近な存在で、我々はいわゆる「デジタルネイティブ」に当たる。分厚い本を読まなくても検索すれば答えが簡単に出てくる。こうした調べ方に否定的な声はあるが、小学生でも能動的に活用すれば知識を容易に吸収することができるようになった。

インターネットはいつ・どこにいてもコミュニケーションを取れる革新的な環境を実現した。しかし我々にとっては当たり前の環境、ありがたみを感じることはなかった。それが崩壊したのが、平成23年の東日本大震災だった。夕方前に発生した地震は、交通を完全にストップさせ、大量の帰宅困難者が出た。筆者もその一人だった。家族の安否を確認しようとするも、電話がつながらない。当たり前だと思っていたことが崩れた瞬間だった。

今年、平成生まれにとって当たり前だった「平成」が終わろうとしている。「平成」に育てられた我々は「ポスト平成」を担っていく。そのうえで大切なことは自らが「平成」で学んだ過ちを繰り返さないことだ。そのためにも今一度、自分自身の「平成」を振り返ろう。明るい「●●」は目前まで来ている。

(山本啓太)

 

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