「あ、これ懐かしい」と呟き、つい商品を購入してしまう。そんな経験はないだろうか。

よく「昔懐かし」といったフレーズと共に昭和の文化が取り上げられる。当時の歌謡曲やファッション、グルメやドラマなど復刻版として再生産されたそれらは、新出のものに劣らない人気を維持している。経済の主体が「昭和に生まれた」大人たちであることが要因だろう。

一方、近年は各業界において90年代に誕生したものの復刻商品も増えてきた。ターゲットには大人だけでなく今の大学生も含まれているらしい。

例えば社会現象にまでなったナイキのスニーカー「AIR MAX」が復活した。ストリートジャンルを確立したファッション誌『Boon』が六年半ぶりに発刊された。任天堂は、『ポケモン』旧シリーズのリメイクを行っている。

昭和にせよ90年代にせよ、各世代の「懐かしさ」に訴える商略がリバイバルにつながる、という点が共通している。

一説によると、ノスタルジーとは寂しさを軸に生まれるらしい。子供時代を共に過ごした、自分という人間の構成要素に触れると、安心や自己肯定の念を抱く。そこに魅力があるのだ。

 

激動・90年代

では、今の大学生が懐かしさを感じる「90年代」とはいかなる時代だったのか。学生のほとんどはこの時代に生まれ、自己を形成しただろう。端的に言えば、90年代は激動の時代だ。とりわけ経済事情と流通、情報技術の変化は大きい。

「失われた10年」という言回しがある。10年以上の経済低迷期を指し、日本では主にバブル崩壊後の90年代がそれにあたる。若者の将来に対する不安はここから始まった。

一方で、センター試験が始まり、秋山豊寛が宇宙に行き、ソ連が崩壊し、Jリーグが開幕し、Windows95やiMacが発表され、消費税が5%になった。「若者」には実感がないだろうが、たった十年で生活や文化は大きく変化した。特にほんの二十数年前までインターネットが普及していなかったというのには驚きだ。

 

復刻と自分

現代もまた激動し続けている。わずか十五年ほどでパソコンは箱から板になり、携帯電話から付属アンテナが消え、映像が飛び出すようになった。当時の「最先端」は、あっという間にその姿を消しつつある。

コンテンツの世代交代が激しい時代だからこそ、リバイバルのサイクルも短くなる。ここは昭和と平成、そして最新のトレンドが入り混じる賑やかな世界だ。どの世代も、自分探しという面から「復刻」に注目してみるのも面白いかもしれない。

 

(玉谷大知)




お姉さんから大人気

C) 1996. 2015 SANRIO CO. . LTD.
C) 1996. 2015 SANRIO CO. . LTD.

サンリオでは毎年、「キャラクター大賞」というサンリオキャラクターの人気投票を行っている。1996年にデビューしたポムポムプリンは、今年度数々のキャラクターを抑え、1位を獲得した。また2014年に原宿にオープンした「ポムポムプリンカフェ」の2号店が、6月、大阪にオープンした。毎日長蛇の列があり、売り上げも好調だ。

しかし、デビューから現在に至るまで、常に人気を保ってきたわけではない。特に小学生向けのキャラクターは、人気を維持するのが難しい。これには小学生特有の「おませ」な心情が影響しているという。

例えば小学校中学年対象のキャラクターがあったとする。小学校低学年の子どもは、少し上のお姉さんたちが持っているものを欲しがり、グッズを買い始める。しかし中学年の子どもは、低学年の子どもがグッズを持っているのを見ると、そのキャラクターを子どもっぽいと感じるようになりグッズを買わなくなる。ポムポムプリンも人気を落とした2000年頃に大方の商品の販売を停止した。

しかし2011年にシリーズ商品、2012年にベビー用品が発売されると、大きな反響を得た。なぜ1990年代にデビューし、一度は販売されなくなったキャラクターが、再び人気を集めているのか。

再ブームの要因の一つは、キャラクター自体の潜在的な魅力にある。サンリオのキャラクターは、グッズ化するために作られているため、それ自身に何らかのメッセージ性がある。また、見ていてホッとしたり、癒しを与えるようデザインされている。

それだけではなく、当時のファンが大人になり、欲しいグッズを自分で買うことが出来るようになったことも要因の一つだ。ただ一時の流行として見られてきたのではなく、本当に愛されていたからこそ、長い時間を経てもかつて少女だった女性たちの心を再び掴むことができるという。

他にもキャラクターの復刻例がある。今は大人気のマイメロディーにも、商品が少ない時期があった。そのときも、小学生向けのデザインを、高校生向けのデザインに一新し、シリーズ商品を発売し爆発的ヒットとなった。

現在は、1970年代から1980年代の半ばのサンリオショップのラッピング用品をデザインした商品が販売されており、よく売れている。懐かしいキャラクターたちが多く登場した可愛らしいデザインは、当時のファンだけではなく、新たに若いファン層も獲得している。

このような復刻商品は、単に懐かしさを持つだけではなく、高いデザイン性で幅広い世代のファンから支持されている。変わらないものを持ちつつ、時代ごとのニーズに合わせることでその人気は衰えるどころか上昇していく。これからも、キャラクターの復刻は続いていきそうだ。

(玉田萌)





ファッション誌編集長が語る90年代 20年前も シンプル 人気

『Boon』編集長を務める山口さん
『Boon』編集長を務める山口さん

「90年代」がひとつのブームとなっている。ストリートファッション雑誌「Boon」も、その流れを形成する媒体のひとつだ。なぜ、いま「90年代」なのか。そして、「90年代」の魅力とはなんなのか。編集長の山口一郎さんに聞いた。

「Boon」が創刊されたのは1986年、バブル景気が軌道に乗り始めた時期だった。上京する若者向けのインドアマガジンとしてスタートした同誌は、90年代に入って、まだ他の雑誌が本格的に取り組んでいなかった「デニム」「スニーカー」といった「アメカジ系」アイテムを武器にヒットを飛ばす。97年には実売65万部を超えるなど、ストリートファッション誌として不動の地位を築いた。「『Boon』の名を知らない人はいないほどだった」と山口さんは振り返る。

しかし、「裏原宿系ブーム」が登場した頃から、人気は衰えはじめる。趣味の多様化や雑誌業界の沈降といった時代の流れも受けて、2008年には休刊に追い込まれた。

そして昨年、同誌は「90年代ストリートカルチャー」という当時と変わらぬテーゼを掲げ、再び世に姿を現した。復刊号は実売7万部と大成功を収め、今後も継続して発行される予定だ。

なぜ、この時期に復刊に踏み切ったのか。「個人的な心情として、10年以上携わった『Boon』に愛着があった」ことに加え、「一言でいえば、市場がととのったから」という。「本誌の全盛期に購読していた若者は、今40歳前後。社会人として成熟した彼らは購買力がある上、もともと読んでいたので『懐かしい』と手に取ってくれやすい。復刊して利益を見込める状況にあった。そこへ、2年ほど前から『90年代』ブームがきていたので、今やるしかないと思った」

さらに時代の法則にも言及した。「ファッションに限らないが、20年サイクルというのがある。それこそ、90年代には『70’s』というキーワードがあった。復活はある意味必然の流れといえるかもしれない」。

山口さんによれば、90年代ブームは想定より長続きしている。その理由は、「90年代」には現在と共通する特徴があるからだという。

「戦後からバブルにかけて、日本は成長、成熟の道を辿ってきた。80年代はまさに爛熟期で、すべてが過剰といえる時代だった。バブルが弾けた90年代はその反動期だ。派手さよりシンプルさが重視され、新しい魅力的なものが次々と生まれた。現在もまた、情報やモノで溢れた反動として『シンプル』『ミニマル』といったライフスタイルが流行している。そうした風潮にも親和性が高いからこそ、90年代ブームは長続きしているのだろう」

(和田啓佑)





90年代懐かしのメロディ ドラマ主題歌に「小室サウンド」

ブームのサイクルを語る遠藤さん
ブームのサイクルを語る遠藤さん

「懐メロ」と聞くと、多くの人が60~80年代あたりの曲を想像するだろう。しかし、「平成の世、90年代に生まれた曲がすでに懐メロになっていても不思議ではない」と音楽配信の大手、株式会社USENの制作部・遠藤哲夫さんは語る。

「懐メロ」は、一般的には人々が青春時代などに聴いて、その当時が懐かしく思い出されるような歌を指す。個人差はあるが曲は発表されてから15~20年経つと人々に懐かしく感じられる傾向があるという。これにのっとるなら、2015年現在、90年代の曲もすでに懐メロといえるだろう。

90年代の特徴

90年代の懐メロには「東京ラブストーリー」の主題歌である小田和正の「ラブストーリーは突然に」のように、ドラマのタイアップ曲が多いという特徴がある。80年代には「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」などの音楽番組から多くの名曲が生まれた。90年代にはこれらが終了した代わりにトレンディドラマが流行し、それに伴って主題歌も大ヒットした。

「小室サウンド」も90年代の懐メロの特徴といえる。当時流行した音楽の筆頭には、globeや華原朋美など小室哲哉プロデュースの音楽が挙げられる。彼の生み出した音楽のアレンジやビートは今では「古くさい」、90年代特有のものであった。当時を象徴する音楽性を持つ曲は、のちに懐かしまれることが多い。

「同じ90年代に流行した曲でも、90年代を中心に活躍し、その後活動を休止したり抑えているアーティストの曲のほうが懐メロになりやすいのではないか」と遠藤さんは指摘する。ブームの終息後あまり表立った活動が見られなくなったアーティストは、より「90年代に限定して活躍した歌手」というイメージが付きやすいのだろう。

ブームになるには

現段階では、有線のチャンネルで90年代の曲を懐メロとして扱うことは少ない。今年10月から「ザ・ナツメロ」という新しいチャンネルが設立されるが、こちらのターゲットはシニア層という。50~60年代の楽曲が中心的にオンエアされる予定だ。高齢化に伴ってシニア層の人口が増えるため、どうしても年配層が番組のターゲットになることが多い。90年代の曲が懐メロとして主力になるのは、まだ時間が要りそうだ。

また、世代別に見ると、有線で90年代の曲を最も多くリクエストするのは30代だという。今の30代が年齢を重ね、50~60代になるころ、本格的な「90年代懐メロブーム」が起こるのだろう。高齢化がこのまま進めば、そのブームも今以上に大きくなるかもしれない。

(河合遥香)





塾員インタビュー セーラームーン生みの親 武内直子さん

セラムん日本を代表する漫画「美少女戦士セーラームーン」。泣きムシでドジな主人公が愛と正義のセーラー服美少女戦士に変身し、悪と戦う。

女性によって描かれた初の戦闘美少女物で、いわばその礎を築いた作品だ。アニメ化・ミュージカル化・テレビドラマ化、玩具やアパレル等の多彩な商品化を世界中で広く展開し、海外からの評価も高い。

作者の武内直子さんは、現・慶應義塾大学薬学部(在学当時は、共立薬科大学薬学部)の出身だ。漫画家である一方で、薬剤師と臨床検査技師の資格も持つ。

友人やいとこからの影響で、幼い頃からジャンルを問わず多くの漫画を読んでいたが、漫画を描き始めたのは高校3年生のとき。「受験勉強より好きな事をしたかった、漫画の上手い友人がいて刺激も受けました。夜、親に隠れてコソコソと漫画を描いていました(笑)」

大学時代に、少女漫画雑誌「なかよし」でデビューを果たす。大学での講義中、原稿に消しゴムをかけていると、友人みんなが手伝ってくれたという。

 

教室の隅で続けた創作活動

勉学との両立は大変だが、短期集中で取り組んだそう。薬剤師、臨床検査技師の国家試験のときも2、3週間一歩も外出せずに、 10科目ほどの教本と問題集を丸暗記した。武内さんは、尋常でない集中力の持ち主だ。

大学卒業後、慶應義塾大学病院の中央検査部に務めた。半年経ったところで、講談社より仕事を本格的に始めないかと誘われた。「漫画の方が楽しそうだと思い、病院を辞めました。辞める日教授に『君は面接で、一生勤めると言ったよね』と冷たく言われた事は、忘れられません(笑)」

作品に登場する戦士や悪役の名前は、惑星や鉱物にちなんでいる。最も刺激を受けた作品は、松本零士先生の「宇宙戦艦ヤマト」。宇宙に興味を持つきっかけになった。中学時代は地学部に所属したというところからも、鉱物への愛を感じる。

どのように名作が生まれたのか。「直感を大事にしています。キャラクターもお話も、ピンとひらめき迷い無く描き始めました。好きなもの、新しいこともとにかく詰め込みました。ビジネスや勉強、友人関係、恋愛も、直感、ひらめき、を優先してきたかも」

「美少女戦士セーラームーン」は生誕20周年を越える。20周年記念プロジェクトでは、懐かしいアニメの再放送や玩具の再販だけではなく、新しい作画のアニメや新商品も数多く展開し、今後も展開予定だ。「ファンの方には是非見て欲しいです。昨年と今年、新宿の伊勢丹で、商品をコラボさせて頂きましたが、長蛇の列ができ、驚きました。来年も展開予定なので是非来て欲しいです」

「好きな世界を自由に描かせて頂き、20年以上も、世界中のファンの方々に愛してもらえて、ただただ幸せです」。漫画を描きながら、大学を卒業し、国家試験もやり遂げ、武内さんは、不可能と思われることを乗り越えてしまう人だ。武内さんから塾生へ、力の湧くお言葉を頂いた。

「やりたい事を熱中してやって欲しいですね。その時こそ思考力や集中力も増し、力も湧きます。以前講談社の編集には「ゾンビのように蘇る」と言われ、夫には「色々を飛び越える人だ」と言われたことがあります(笑)。蘇ったり、飛び越える力が生まれるのは、好きな事、やりたい事を夢中でやっているから。やりたい事をするために、学校や会社、日本を飛び出す事もアリだと思います。勿論覚悟も必要です。是非、福澤諭吉先生のように、世界へ飛び出して、好きな事やりたい事に挑戦して下さい」

(玉田萌)