
「ビリギャル」。塾生であれば一度は耳にしたことがあるこのフレーズは、坪田信貴氏によるノンフィクション作品『学年ビリのギャルが一年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の略称である。この作品が世に出て10年あまり、今でも多くの人に愛され、希望を与える存在だ。そんなこの作品の題材・主人公となった小林さやかさんに話を聞いた。
「別世界」の慶應を身近にした出会い
「慶應義塾にお帰りなさい!」という声に迎えられた小林さん。そんな彼女の慶應義塾に対する入学以前の印象は「櫻井翔くんが通っているキラキラした世界」だったそうだ。名古屋の高校に通っていた小林さんにとって、東京にある慶應義塾はまさに「別世界」。当初は大学進学すら考えていなかった小林さんだが、偶然行くことになったという、坪田信貴氏が講師を務められていた個人塾の面談で大きく人生が変わることとなる。坪田氏は周りの大人たちとは違い、熱心に彼女のいうことに耳を傾けた。「この大人なら、何でも話せる」と思い、入塾を決意した。坪田氏から最初に東京大学を勧められたが、「櫻井翔くんみたいなイケメンが多そう」という理由で志望校を慶應義塾に決めたという小林さん。そこには「慶應には自分より面白い大人がたくさんいる」という坪田氏の言葉もあったという。
多様な価値観から感じた慶應らしさ
実際に入学してみると、様々な背景を持ついろいろな地域の塾生と出会い、多様な価値観を得たそうだ。「名古屋にいたら出会わなかったであろう人達に巡り合えた」と語る。また、卒業後に感じたのは、慶應義塾社中の団結力。その象徴とも言えるのが、ニューヨーク三田会での出来事。世代の垣根を越えて社中が一体となって、『若き血』を熱唱する様子に、「怖いくらいにみんな慶應が好き」と驚かされたらしい。また、塾YouTubeチャンネルにおける伊藤塾長との対談の機会で『学問のすゝめ』を読んだことも転機となったそうだ。特に福澤諭吉が語る「民間の力」に強く感銘を受けたそう。「アップル社がスマートフォンで世界を変えたように、社会を動かすのは民間の創造力。その血が脈々と受け継がれているのが慶應義塾だと感じた」と話す。
将来に生きる体験:後悔から学んだもの
そんな小林さんにも塾生時代の後悔がある。「もっと勉強しておけばよかった。SFCには魅力的な教授がたくさんいたのに、当時はその価値に気づけなかった」と話す。また、「海外経験の差は社会に出てからの差になる」と実感しており、「タイムマシーンがあるなら、塾生時代に1~2年は海外で過ごしたい」と語った。
ビリギャル体験を再現可能にするために
「ビリギャル」として注目された経験も、人生に大きな影響を与えた。国内外での公演は500回以上におよび、その中で「ビリギャル」本人として出会った課題が、大学院での学び、そして起業の動機につながっている。コロンビア大学で学んだ認知科学は、「人の認知は人生経験に基づいて形成されるが、少しの意識で変えられる」という発見につながった。「正しい努力、動機づけ、環境がそろえば誰でもビリギャルは再現可能」と語る。また、一般入試において、一発逆転を果たした小林さんだが、近年の私立大学における推薦入試の多様化については「合理的な流れ」だと肯定的に捉える。一方で、日本の入試の公平さも評価しており、「アメリカでは私のような一発逆転はほぼ不可能。だからこそ日本の旧来の制度も必要」だと語る。

「ビリギャル」本人からのメッセージ:小さな成功を積み重ねて
最後に、挑戦をする若者へのメッセージとして、「目標は細分化することが大切」とアドバイス。「いきなりエベレストに登るのではなく、まずは2キロ歩くところから。小さな成功の積み重ねが挑戦するマインドを作る。それが私のゴールデンルールです」と熱く締めくくった。
【プロフィール】
小林さやか(こばやし・さやか)/1988年生まれ。名古屋市出身。恩師である坪田信貴氏の著書『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)の主人公。大学卒業後、ウェディングプランナーとして従事した後、ビリギャル本人としての講演や執筆活動など、幅広い分野で活動中。19年4月より教育学の研究のため聖心女子大大学院に進学し、21年に学習科学の修士課程を修了。22年よりコロンビア教育大学院へ留学し、24年に認知科学の分野で修士号を取得。講演実績は500回を越え、noteやYouTubeでも自身が経験したことや学んだことを発信している。24年12月にはAGAL株式会社を設立し、オンライン英語学習サービスローンチに向け現在準備中。新著に認知科学に基づいた勉強法をまとめた『私はこうして勉強にハマった』(サンクチュアリ出版)がある。
(金田悠汰・小野寺望)