2 thoughts on “『塾生代表選挙から見る学生自治 失われた「全塾自治会」とは」

  1. 非常に面白い記事かと思います。ぜひ継続して出していただけると嬉しいです。

    なお、本記事に記載された公職の歴代政権の評価みたいな記事があれば、面白いかと思います。

  2. 塾生代表選成立の裏で、我々が売り渡したもの

    四度目の正直、ついに塾生代表選挙が成立した。三度にわたる不成立という異常事態の末、全塾協議会が解散の危機を免れたことに対し、関係者は安堵しているのかもしれない。しかし、その成立と引き換えに我々が支払った代償の大きさに、一体どれほどの塾生が気づいているだろうか。今回の選挙で導入された「200円割引券」による投票動員。それは、慶應義塾の学生自治の歴史に、決して消えない汚点を残したと言わざるを得ない。
    この度公開された記事は、我々の学生自治がいかに脆く、そして苦難の歴史の上に成り立っているかを克明に物語っていた。学生運動の熱狂と挫折の中、塾生の支持を失い自壊した「全塾自治会」。その機能不全を補うための「暫定措置」として生まれ、今もなお大学当局からその正統性を完全に認められていない「全塾協議会」。その不安定な土台の上で、我々の代表は選ばれている。
    かつて先人たちは、学費という我々の生活に直結する問題で大学と対峙し、ストライキという手段をもってその意思を示した。その結果、彼らは塾生の支持を失い、自治会は崩壊の道を辿った。その是非はともかく、そこには間違いなく、学生が自らの手で大学を動かそうとする壮絶なまでの意志が存在した。
    翻って、現代の我々はどうだろうか。
    選挙不成立という「機能不全」を恐れるあまり、全塾協議会が打った手は、わずか200円の利益誘導であった。これは、問題の本質から目を背けた、最も安易で、そして最も侮辱的な解決策である。なぜ塾生が投票しないのか。それは、候補者が本質的な公約を掲げられず、塾生代表というポストがもはや我々の大学生活に何ら影響を与え得ない「無力な存在」だと、多くの学生が肌で感じ取っているからに他ならない。
    その根本的な問いに向き合うことを放棄し、「投票率」という数字だけを繕うために金品で参加を促す行為。それは、自らの存在価値を自ら貶める自殺行為に等しい。200円で買われた一票に、果たして熟慮と責任、そして塾生の総意という重みは宿るのだろうか。否、断じて否である。それは民主主義の形骸化した儀式であり、魂の抜けた数字合わせに過ぎない。
    選挙不成立という「死」を免れるために、我々は自ら民主主義の魂を売り渡したのだ。
    今回の一件で、「選挙は割引券さえ配れば成立する」という悪しき前例が刻まれてしまった。これにより、候補者は今後、魅力的なビジョンを掲げる必要すらない。選挙管理委員会が、より魅力的なインセンティブを用意すれば済む話になるからだ。これ以上の堕落があるだろうか。
    選挙は成立した。しかし、そこで「成立」したのは、健全な学生自治ではない。それは、参加意識が金銭で買えるという事実であり、我々の代表を選ぶという神聖な行為が、生協の割引キャンペーンと同レベルにまで墜ちたという嘆かわしい現実である。
    全塾協議会が規約上の解散を迎えるより先に、慶應の学生自治はその精神において、静かに終焉を迎えつつある。この冷厳な事実に、我々塾生一人ひとりが向き合わない限り、未来はない。

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