《慶應生の本棚》線は、僕を描く|感想・レビュー・あらすじ

自分の才能は、自分の生きる意味は。立ち止まってしまったときに出会ってほしい小説がある。

「線は、僕を描く」

両親を事故で失った大学1年生の青山霜介は、それ以来心を閉ざし将来についても考えられないまま日々を過ごしていた。ある日、ひょんなことから大物水墨画家の篠田湖山に水墨画の才能を見出され、まったくの初心者であるにもかかわらず湖山の孫娘・千瑛と水墨画のコンクールで勝負することに。「線を描く」こと、湖山門下でそれぞれの「線」を持つ人々との出会いを通して、青山は少しずつ恢復に向かっていく。

2019年に第59回メフィスト賞を受賞した本作品は、同年にブランチBOOK大賞を受賞し注目を集めた。20年には本屋大賞第3位にランクイン、コミカライズ、今年22年10月には実写映画が公開予定と、快進撃が止まらない。水墨画という我々の多くは縁遠いと思われるテーマを扱う本作が、これほど人々の心を捉えたのは一体なぜだろうか。

青山は巨匠との偶然の出会いから、孫娘で圧倒的な美貌を持つ少女、千瑛とコンクールで勝負することになる。この漫画のようなプロットに深みをもたらす軸となるのが、「才能」と「再生」だ。

才能を見出された青山は、それまでとは一転して「天才」のキャラクターになる。「天才」というと、その生まれ持った才能でスタートラインから誰にも追いつけない高みにいる人、というイメージが持たれがちだ。一つの欠点もない完璧な人間に、どうしても見えてしまう。だが、本作の主人公は違う。むしろ、過去のトラウマやふさぎ込んだ自分にコンプレックスを抱えている。

その人にしかできないことは、その人だけが持つ記憶や経験からしか作られない。技術を身に着けるだけなら、ある程度までは誰だって良い。巨匠の琴線に触れたのは、傷を抱えた彼なのだ。ある人の中に蓄積された記憶や経験は、たとえそれがネガティブなものであっても、その人の個性として芽吹く場所がどこかにある。芸術に限らず自分らしく生きるとは、悲しみや不安を消し去ることではなく、それも自分の一部として引き受けて生きること。個性は、才能は、そうして作られていくものなのだ。

この物語は、傷を抱えた主人公が再生していく過程を描いた物語だ。水墨画を通じて出会った人々との交流は、彼の心を融かす大きな助けになった。しかし、ここで着目したいのは、タイトルにもなっている「描く」ことである。彼は水墨画を描くという経験を重ねながら「恢復」していくが、それは両親を失う前の彼に戻ったという意味での「恢復」とは少し違うように見える。

水墨画は失敗しても修正のきかない一発勝負。かといって描きださなければ何も生まれない。青山は次第にそれを人生の運命と重ねるようになる。運命の理不尽さに漠然とどう向き合えば良いのかわからなくなっていた彼にとって、描くという身体的な行為が大きな意味を持ったのだろうか。本作で主人公が経験する「恢復」は、喪失を経験した自分という新しい自分を受け入れて再構築し、描くという行為を通じてそれを身体に落とし込んだという意味での「恢復」だ。本作が、水墨画や創作活動に携わる人々の枠を超えて一般に愛されたのは、「線を描く」という行為がそのまま「生きる」ことに言い換えられるからではないだろうか。

この作品には、水墨画の世界に始めて触れる人でもハッとさせられる言葉がいくつもちりばめられている(特に湖山先生、彼の言葉だけで名言集が作れそうだ)。凝り固まった考え方に新しい風をびゅうびゅう吹き込んでくる湖山先生には、是非一人でも多くの方に出会ってもらいたい。タイトルが「僕は、線を描く」ではなく「線は、僕を描く」であることも、読み進めていくうちに次第に腑に落ちてくる。

横浜流星主演の劇場版が、2022年10月21日に公開される。作中で登場人物たちが描いていた作品の数々を、スクリーンで見られるのが今から待ち遠しい。

(三尾真子)