第81回東京箱根間往復大学駅伝競争が一月二日・三日に行われ、オープン参加の関東学生連盟選抜に選ばれた塾競争部の亀田健一(理3)が十区(復路:鶴見~日本橋~大手町読売新聞社前)を走った。亀田は1時間14分44秒の記録で区間18位だった。また日本橋では塾應援指導部が応援スポットを設け、塾員・塾生とともに亀田を激励した。

 十月に行われた箱根駅伝の予選会。慶大は総合成績で20位となり、惜しくもチームとしての出場はならなかった。しかし亀田はこの予選会で塾記録となる好タイムをたたき出して、関東学連選抜としての箱根駅伝出場が有力となった。ここから亀田の箱根駅伝が始まったといえる。

 関東学連選抜のメンバーに決定したのは十月の終わり頃だった。関東学連選抜というチームはその名の通り、箱根駅伝のために各校から集められた急造チームで、一からのスタートだった。十一月中旬から練習会や合宿が始まったが、「最初は知らない同士だったのでぎこちなかった」と亀田はチームの発足当時を語った。しかしその後、共に練習を重ねるうちに徐々にチームの雰囲気もなごやかなものになっていった。

 箱根で走る区間は選手の希望が尊重され、亀田は慶應の三田キャンパスの近くを通る十区を自ら希望し、十二月の下旬に十区の選手に正式決定した。しかし、本番当日の五日前に発熱というアクシデントが起きた。これが後の当日のレースに大きく影響することとなった。

 迎えた本番当日の一月三日。鶴見中継所で九区の選手からたすきを受け、亀田の箱根駅伝はスタートした。

 走ること5キロ。亀田にとって一番苦しい場面が訪れることとなる。「5キロ地点で拓殖大学の選手に追いつかれて、2キロほど併走していました。この時が一番きつかったですね」と、亀田は振り返る。

 鶴見から約13キロ地点の八ツ山橋付近。この地点を亀田は勝負所と判断して、一気にスパートをかけた。

 残り約1キロ地点の日本橋付近。ここでは慶應の応援スポットがあり、應援指導部を始めとした人々が亀田に声援を送っていた。「応援の声ははっきりと聞こえ、とても心強いものだと感じました」と、亀田も話している。

 走っている途中、亀田は胸のKマークをしきりに指差していた。このポーズには「慶應をアピールする」意味があったという。

そしていよいよゴールの大手町読売新聞社前。亀田はゴールする瞬間、たすきを両手で天に掲げて「感謝の気持ち」をこめてゴールした。

 亀田は箱根駅伝を初めて走った感想を「『楽しかった』という一言に尽きます」と話している。だが、一人抜かれてのゴール、区間18位という箱根駅伝の記録に関しては、「結果に対しては、正直不満足です。五日前に発熱する前までは調子も良く、1時間9分台のタイムを目指していましたので。『出場しただけ』という感じで終わってしまったのが残念です」と話した。

 最後に今後の目標については、「箱根を走れたということはすごく価値のあることだと思いますが、結果をシビアに見たいと思います。まだ本当の強さが足りないと実感しました。来年はもう一度強くなって、この箱根駅伝に戻ってきたいと思います」と話した。

 塾競争部が箱根駅伝優勝を飾ったのは昭和七年の第13回大会のこと。実に七十三年前のことである。今回は亀田のみの出場となったが、塾競争部の選手が箱根駅伝に出場するのは平成六年の第70回大会以来十一年ぶりの快挙だった。これを布石とし、塾競争部が単独チームとして箱根駅伝に出場する日を期待したい。