3年前に放送されて以来、大きな反響を呼んだにも関わらず、再放送もDVD化もされてこなかったドキュメンタリー番組、「泣きながら生きて」。この作品の劇場上映を実現させた塾生がいる。経済学部4年、中村俊喜さんだ。
「泣きながら生きて」は上海、東京、ニューヨークと互いに離れ離れになり貧困に苦しみながらも懸命に生きる中国人家族の姿を10年にわたって取材し、作り上げられたドキュメンタリー。2006年11月3日、全国ネットで放送され、高視聴率を記録し、放送直後から問い合わせが殺到した。
中村さんは大学1年生のとき、偶然この番組を観た。当時、もともと医学部進学を目指していた中村さんは大学の勉強に対しモチベーションが落ちていたという。「何のために勉強するのかわからなくて、遊んでいました」と笑う。
しかし、「泣きながら生きて」に出会い、考え方が変わった。娘に教育を受けさせるため、独り東京でいくつもの職をかけもちして働く主人公。自分の恵まれた環境を実感した。「がんばりさえすれば、医師という形でなくとも、人に貢献したいという高校時代の思いを実現できるかもしれない」。それ以後、目の前のことに一生懸命取り組むようになった。
その後、就職活動中に転機が訪れた。映画配給に興味があった中村さんはゼミの先生に映画の海外配給に携わっている汐巻裕子氏を紹介される。配給の仕事を手伝わせてもらうことになったが、中村さんは汐巻氏に劇場上映したい作品があることを打ち明けた。
「就職活動で悩んでいる時期にもう一度『泣きながら生きて』を見直して。僕と同じような状況にある人にこの作品を観てもらいたいと思ったんです」
汐巻氏も同意し、番組プロデューサーの横山隆晴氏のもとへ。中村さんは緊張しつつも必死で劇場で上映したいという自分の思いを伝えた。すぐに返事はもらえなかったものの、「大学生がそこまで言うなら」と奇跡的に許可が下りた。
劇場上映の企画は自身の就職活動と同時進行だった。とくに3月になると面接やエントリーシート、筆記試験対策に追われ、寝る間を惜しんで企画の仕事をこなした。「就職活動は僕一人のことですが、劇場上映はチームで動いている。僕が言いだしたことのために時間を割いてくれている人がいるのに、手は抜けませんでした」
中村さんは主に宣伝を担当した。なるべく多くの世代に作品を届けたいと学校や商店街での上映会を企画したり劇場上映に向けた日々をつづったブログをほぼ毎日更新したり。映画の宣伝活動、というと一見華やかな印象を受けるが、実際は地道な作業の積み重ね。失敗することも多かったが、工夫を重ねた宣伝活動が功を奏して上映会や試写会に観客が来場し、感想を伝えてくれることが何よりやりがいにつながったという。
この作品の魅力について中村さんは「登場人物に自分や自分の周囲の人を投影できる」ことを挙げる。中村さん自身は就職活動の時期、この作品をとおして働くことについて考えさせられたというが、「観る人自身が抱えている問題や置かれている状況によって受け取るメッセージが違う。受け取り方が人それぞれというのはドキュメンタリーならではの強み」と話す。
「泣きながら生きて」は現在新宿バルト9にて公開中。慶大生が劇場上映化した作品。ぜひ足を運ばれてみてはいかがだろうか。
(西原舞)