結成わずか2年目で2020年のM-1グランプリファイナリストに選ばれ、さらに準優勝まで成し遂げた稀代のユニット、おいでやすこが。そのボケ担当でピン芸人としても活躍するこがけんさんは相方のおいでやす小田さん同様、今やテレビで見ない日はないほどの売れっ子だ。

地元福岡の進学校を卒業したこがけんさんは、慶應義塾大学商学部に入学した。周りの学生の雰囲気に近寄りがたさを感じたこがけんさんの居場所は、ユーロロック研究会だったという。当時全体で70人程の大所帯のサークルの代表を務めていた。そこで洋楽コピーバンドのボーカルとして活躍していたことが、現在の芸風にたどり着くきっかけになったという。

卒業後、就職活動に嫌気がさしたこがけんさんは、大学の同級生に誘われ家族には報告せずにNSC(吉本総合芸能学院)に入学し、そのまま吉本に入社。しかし卒業後半年もしないうちに吉本を退所し、アルバイトや板前修業などに明け暮れていたという。

「当時放送されていたニュースのコーナーで、親に芸人になったことを告白するドキュメンタリーの仕事が来たんです。でも、やっぱりネタで番組に呼ばれて親にバレるっていうのを理想としてたから断って。けど、『よく考えたらこんな仕事断るようなモチベーションの奴が売れるわけないな』と思って辞めたんです」と話す。だが、板前を続けていく気にはなれなかった。「『一生やるの無理かも』『食べる方が好きかも』って思ったんですよね」

そんな中で再会した元相方とコンビを再結成するも結果は出ず、関係も悪化したことから数年後にはコンビを解散。以降はピン芸人として活動した。コンビ活動の末期に始め、個性となっていた歌ネタでR-1の決勝に進出、「ハリウッド映画ものまね」で細かすぎて伝わらないモノマネ選手権でファイナリストに選出されるなど、徐々に活躍の場を増やしていく。

しかし、売れっ子と呼ばれるのはまだまだ先の話だった。それだけに、R-1ぐらんぷり(現R-1グランプリ)のルール変更に伴う芸歴10年以上の芸人の参加資格のはく奪はショックだったという。「R-1で優勝しても売れない可能性だってありますけど、自分が売れるとしたらやっぱり入り口は優勝だと思ってたので。だからもしおいでやすこががこんなことになってなかったら、ネタを作るモチベーションがギュンと下がってたんじゃないかと思ってます」

おいでやすこがとしてM-1に出場後は、周りからの反応も変わった。

「40歳を超えてちやほやされることなんてあるんだっていう驚きはありますよ。初めてのロケで女子高生に声かけられたとき、2人とも慣れてないから番組が仕込んだサクラだと思いましたもん(笑)。出た後の環境の変化で言うとM-1が圧倒的なのかなと思ってて。小田さんはR-1で五回連続で決勝に行ってるし、平場でも強いのに売れてなかったんですよ。『俺らが売れるのってM-1なん?』『今までR-1で戦ってきたのってなんやったん?って言ってましたね。でも、たった一本のネタで決勝まで行けてあそこまでの高得点を出せたことで、僕らをもって『爆笑を取れば評価されるのがM-1なんだ』っていうのが証明されたと思います」

 

〇新入生へのメッセージ

自分のやりたいことって何だろう、って悩みすぎちゃう人って多いと思います。だけど、悩む時間に費やすんじゃなくて、自分がやりたいことに全力で臨めるように、今できることを頑張っていろいろなものを蓄えればいいのかなと思います。1年生で悩んでちゃ駄目。だって、僕が改めてお笑いをやろうと決心したのって20 代の最後ですから(笑)。

 

【プロフィール】

こがけん 1979 年生まれ。慶應義塾大学商学部卒。2001 年に東京7 期生としてNSC に入学。KTV「R-1 ぐらんぷり2019」決勝進出を果たす。おいでやす小田とユニットを組み、ABC「M-1 グランプリ2020」決勝進出し、準優勝。

 

 

(松野本知央)