「好きなことで生涯生きていく」

落語家や作家として幅広く活躍する立川談慶さん。落語研究会(以下落研)で活躍した塾生時代。好きなことで生涯生きていく覚悟について話を聞いた。

落語との出会い

立川さんが落語の世界に本格的に足を踏み入れたのは、大学1年生の春。
「1年生の最初の発表会のある6月までに、10回以上は寄席にいく」というルールのもと、通いつめた結果、落語がとても好きになった。

その後も練習に励み、落研では副代表に就任し、4年生の時の夏の講演会では、トリを務めた。その時、当時渋谷にあった東邦生命ホールは満席であったという。

三田祭での経験

三田祭においては、「三田祭慶應寄席」にて、多くの観客を前に落語を披露した。
立川さんにとって三田祭の経験は、現在の仕事に直結しているという。
「54歳になり、落語に携わっている。人生毎日がお祭りのよう。あのお祭り感覚はいつまでも残っている」と話した。

三田祭という大きな晴れ舞台に立ち、大勢の観客を前に、落語を披露する。その時の観客の反応、感動、会場の一体感は決して忘れられないものであったに違いない。

そして落語家に

そんな立川さんが本格的に落語家を志したのは、大学を卒業した直後であったという。その頃は、バブル景気の一番良い頃だったが、「こんな時代はそう長くは続かない」と直感し、就職先や自身の将来に悩むこともあった。「会社員を3年間続けてみて、それでも考えが変わらなかったならば、談志に弟子入りしよう」、そう覚悟を決めた。

1988年4月、ワコールホールディングス(旧ワコール)に入社し、その2年後落語家を本気で志し、吉本興業にて芸能活動を開始した。
平日は会社員、休日は芸人という過密スケジュールをこなしていたそうだ。

吉本興業では、博多華丸・大吉さん、カンニング竹山さんが同期にあたる。彼らとの違い、自分にしか出せない良さを研究する中で、ひたむきに落語家を志していた立川さん。自身の生涯の仕事について、次のように話した。

「やはり子供のころになりたかったものになるべきです。人生は一度だけですもの。定年のない世界に入った今、心からよかった、と確信しています」

塾生へのメッセージ

三田祭をはじめとして、塾生時代の頑張りをばねに、現在も落語家として、また作家として活躍の場を広げる立川さん。最後に夢を追う塾生へ、熱いメッセージをくれた。

「好きなことを見つけて、それを自分なりにアレンジして、さらに継続させていく。勝機はそれしかないと思います。何が好きになるかわからないので、とりあえずなんでも続けてみてください。きっとひらめきはあるはずです」

「好きなことで生涯生きていく」定年のない世界で輝き続ける立川さんに、尊敬の念を抱かずにはいられない。
(南部亜紀)