《記者が見つめた慶應》バブル景気と慶應 広研、スキー、キャリアウーマン

記者が見つめた慶應

バブル最盛期の頃の記事(1988年9月・216号)。記事によるとこの年は「かつてない売り手市場」で、就職部に「慶大生は残っていないか」という電話がかかってきたそうだ。記事のタイトルは「高い採用熱に『楽勝』」

―バブルの時の慶應の様子は

まず広告学研究会を思い出しますね。広告業界が新しいクリエイティブを生み出していたので「最先端」というイメージが強かった時代でした。華やかな人が集まる場所がテニスサークル、ゴルフサークル、広研という感じでした。

車もバブルを象徴するものとして思い出します。大学生になったら車に乗る、という意識はあったと思います。

もう一つ象徴だったのがスキーです。大体の人はスキー用具を持っていたんじゃないかな。車とスキーとユーミンっていうすごくわかりやすいバブルな文化でした。

80年代からバブルにかけて「スキーブーム」が訪れる。塾生新聞では、8面中3面を割いて「スキー特集」を組んだ(1980年11月・130号)。

―就職活動はどうでしたか

就活は複数の内定を持っていることが当たり前でした。人気だったのは銀行、証券とかの金融、あとはマスコミもかな。内定を断って叱られるという経験をした人も多かった。水をぶっかけられたという話もよく聞きました。だからといって楽だったというわけではありませんでした。

雇用機会均等法ができて何年も経っていたから、女性が総合職になろうという文化、キャリアウーマン願望が一番盛り上がっていた時代でもありました。

―当時の塾生新聞は

学内の事を報道するというところからちょっと舵を切って、文化面的な記事を大事にした時代だと思います。塾生新聞の歴史の中では、一種の異端の時期だったかもしれないけど、自分たちには、それがあの時代に学生新聞をやる意味だったとは思います。一種迷走していた時期とも言えます。慶大に向き合う、というよりもっと内向きな、自分たちで何が面白いかという意識の中で作っていた気がします。

(89政・卒 聞き手=西岡優希)

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