《記者が見つめた慶應》第三の革命「インターネット」 就職氷河期に突入

記者が見つめた慶應

平成不況に突入し、就職氷河期が訪れた(1999年5月・333号)。就職難の影響により、大学院などの進学率は増加した。

―就職氷河期を経験して実際どうでしたか

厳しい時代だったと思います。大手都市銀行がつぶれたニュースもあったので、我々の将来がどうなるだろうという漠然とした不安はありました。客室乗務員が正社員でなくてもいいのではないかという論争も巻き起こって。終身雇用、正社員が当たり前という考えがどんどん崩れていきました。新聞でもよく取り上げられていましたね。

―インターネット普及によって就活の仕方も変わりましたか

当時はまだはがきでした。家に段ボールで会社案内とかがたくさん来るんですよ。情報は全部紙でしたね。企業より大学の方がインターネットの普及が進んでいたように思います。

―1997年にSFCで遠隔講義がスタートしたことについて

当時、韓国とつないでイベントが行われました。今まで国外との通信はテレビじゃないといけないという固定観念があったので、イベントに参加して、垣根はなくなっていくんだなと感じましたね。

―インターネットはどのくらい普及していましたか

SFCは生協経由で一人一台購入する仕組みがありましたが、三田や日吉ではまだなかったように思います。パソコンが何十台も置かれている計算室や情報処理室はあった気がします。

三田・日吉のコンピューターにWindowsが導入された(1997年4月・310号)。当時の記事の見出しに「ボタン1つでホームページ」とあるように、ブラウザが標準装備されたことで初心者でもHPのアクセスが容易となった。

―インターネットやパソコンをどのように活用していましたか

海外の文献を調べるために利用していました。でも今思うと限定的だったんだろうと思います。ヤフーも、今みたいに自動的に情報収集するものではなくて、カテゴリー別に検索するものだったと思います。

また、関数の計算やプログラミングなどもやりました。アルバイト先でシフト表を作ってみたこともありましたね。みんなが手間暇かけていたことを一瞬で解決できると喜ばれたし私も嬉しかったです。

―当時流行っていたものは

たまごっちは当時大学生でも持っていました。また小室ブーム真っただ中で、塾新の部室でもよくCDをかけていましたね。SFCでは特に車を持っている人が多かったです。学校帰りに江ノ島や湘南にドライブに行く人もいました。

(98総・卒 聞き手=常石萌恵)

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