《記者が見つめた慶應》東日本大震災 塾生新聞は何を伝えたか

記者が見つめた慶應

東日本大震災後に初めて発行された紙面トップ(2011年4月・464号)。卒業式は中止され、代表学生に学位授与などを行い、その模様を動画配信する対応を行った。

2000年代後半の慶應

―iPhoneの発売などスマホ革命が当時起きていました。学生はスマホを持っていましたか

当時は全員が持っているわけでなく、新しい物好きの人が持っていたという印象があります。SFCの生徒はよく使っていましたね。

ー民主党の政権交代について

自民党に対する危機感を持っていて、民主党なら何かやってくれるという期待感が高まっていました。多くの学生が選挙権を持っていたので政治に対する関心は高かったと思います。自分も同級生と一緒に政党のマニフェストを読んでどのような政策を掲げているか比べていました。

(11総・卒 聞き手=松本功)

2010年代前半の慶應

―東日本大震災があった時どういった状況でしたか

自分は家で寝ていた時にグラッという大きな地震を経験しました。その後日吉の近くにいる先輩から校舎の窓ガラスにヒビが入っている画像が送られてきたことで、大ごとだと思いました。

―塾生新聞は、地震を当時どのように報道していましたか

インターネット回線が混雑していてホームページが更新できませんでした。そのため、電話で確認した慶大の被災状況をツイッターのアカウントで発信していきました。

その後、さまざまな人から「ありがとう」と感謝されましたね。

―震災は慶大にどのような影響を与えましたか

3月の行事が全て中止になり、卒業式が行われませんでした。入学式やオリエン期間も延期し、不安が大きかったです。ボランティア団体の活動も活発でした。しかし、1、2カ月後には日常を取り戻していましたね。また、節電することが求められていたため、三田キャンパスのエレベーターが1機しか作動していませんでした。その影響で遅刻者が続出していましたね。教授も授業に間に合わないということが多々ありました。

―学生の間でSNSは普及していましたか

多くの学生が使っていました。Facebookが台頭していて、LINEも自分が参加していたゼミの半分以上の人が利用していました。

(14文・卒 聞き手=松本功)

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