《記者が見つめた慶應》80年代の慶應 女性の社会進出進まず

記者が見つめた慶應

男女雇用機会均等法制定前の記事(1984年9月・172号)。四年制大学の女子は就職活動が不利とされてきたが、徐々に意識が変わってきた。

―当時の大学生の生活は

当時は景気が良かったので、頻繁に旅行に行ったり、コンパをしたりしました。夏は海、冬はスキーで遊ぶといったことが典型でした。「遊ぶこと」に本当に真剣だった時代だと思います。

―就職活動はどうでしたか

男性は、慶大生であればどの企業でも採用されたそうです。反対に女性の私はとても苦労しました。当時は結婚・出産で退職することが一般的だったので、女性自体が歓迎されていませんでした。特に企業は女性に補助的な仕事を任せたがっていたので、四年制大卒の女性は敬遠され、短大卒の方が有利でした。今考えると、女性の社会進出の低迷期だったように思えます。

―当時のエンターテインメントについて

みんながテレビやラジオを視聴していました。世間では「女子大生ブーム」が起きていて、テレビに一般の女子大生が出演したり、ラジオのパーソナリティを務めたりしていました。何かと女子大学生がもてはやされていた時代でした。

―当時、キャンパスで宗教団体と自治会の衝突があったことについて

② 全塾協議会は選挙期間の終了後、実施状況等について総括、検討を行い、必要があると認められるときは、有効投票数について所要の措置を講ずるものとする。

当時は当たり前にキャンパス内に色々な宗教団体がいて、布教活動を行っていました。ある宗教団体に自治会が乗っ取られたこともありました。しかし一般の学生にとっては、あまり影響はなかったと思います。時代として浮かれていたからこそ、それに不安を覚える人もいて、大学で宗教活動が活発になっていたのだと思います。

(83政・卒 聞き手=陣内望)

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