慶大の文学部には、1年次の12月に専攻を選択する仕組みがある。その専攻決めに先立ち、今回は、慶應義塾大学文学部人間科学専攻の菅さやか先生にお話を伺った。社会学専攻との違いのほか、先生の研究テーマや専攻の雰囲気、他大学と比較した特徴など、多岐にわたる内容についてお聞きした。
社会学専攻、心理学専攻、教育学専攻との違い
・人間科学専攻と社会学専攻の違いについて教えてください。
― 個人的には、社会学専攻は「社会学」を軸にしているという印象が強いです。一方、人間科学専攻の場合、「人間科学」という独立した研究領域が存在するわけではありません。「人間科学」とはいくつかの学問領域をまとめるようなタームです。実際、人間科学専攻では、人間科学という大きな枠組みの中に「社会学」「人類学」「心理学」「社会心理学」という4つの学問領域があることが一番大きな違いだと思います。もちろん、社会学専攻にも社会学や社会心理学、人類学の先生がいらっしゃいますが、人間科学専攻は1つの屋根の中に4つの分野があるというイメージが強いです。
・社会学専攻と心理学専攻、教育学専攻でも心理学が学べるかと思います。他専攻と比較した人間科学専攻の心理学の特徴について教えてください。
― 人間科学専攻の心理学の教員は社会心理学がメインということ、また、新しいアプローチにチャレンジしている点が特徴的だと思います。今まで確立されてきた伝統的な研究方法論について、2010年ごろから世界中で考え直す動きが起こっています。人間科学専攻の心理学の教員3人全員がこの問題意識を強く共有しているため、従来の心理学だけではなく、新しい方法で人の心を見ることを意識しています。
・人間科学専攻で学べる「社会学」「人類学」は、社会学専攻と比較してどのような特徴がありますか。領域としては共通しているように思えます。
― 人間科学専攻の社会学の先生方は、データや数値を用いるなど、計量的な研究をされていると感じます。人類学の先生方は、フィールドワークがメインですので、インタビューや観察をされています。そのため、社会学専攻の先生方との違いをはっきりつけることは難しいです。しかし、個人の教員がメインとしている研究テーマは異なるため、「社会学専攻だからこう」や「人間科学専攻だからこう」と決めずに、教員ごとの研究テーマを見ることが大事だと思います。
・人間科学専攻でとれる授業について教えてください。
― 一番特徴的なのは、「人間科学特殊」という授業だと思います。この授業の開講数は非常に多く、それぞれサブタイトルで内容が分かれています。人間科学特殊には本当に多様な領域の授業があるので、人間科学専攻の学びの多様さはこの授業に表れていると感じます。この授業のサブタイトルを見ると、人間科学専攻で学べる内容が分かると思います。私はコミュニケーションについての授業を開講しています。シラバスに掲載されているので、教員の研究テーマを調べる際の参考にしてみてください。

他大学の学部との比較
・他大学の社会学部や人間科学部と比較した、慶大文学部人間科学専攻の特徴を教えてください。
― 慶大の場合は、文学部の中に「専攻」という形で位置づけられていることが特徴かもしれません。学部として単独で成り立っているわけではなく、あくまで専攻ですので、他の様々な専攻の授業も履修しながら人間科学専攻として学べる点が魅力かと思います。そもそも、人間科学専攻というものが非常に学際的なことを学べる専攻です。人間科学専攻の中にも主に4つの学問領域がありますし、かつ文学部に属していることから、幅広く学び、人間について多角的に考えられる点が特徴的だと感じています。
菅教授の研究テーマ:AIと人のコミュニケーション
・菅教授の研究テーマは心理学だと伺っています。具体的な内容について教えてください。
― 長いことコミュニケーションの研究をメインで行っています。これまでは人と人とのコミュニケーションを研究していましたが、今はAIと人が簡単にコミュニケーションをとれる時代になってきています。そのため、AIと人とのコミュニケーションの研究に着手しています。
具体的には、人が対話をする上で、理解を共有することで相手との信頼感が高まったり、関係性が構築されたりする現象に興味があります。例えば、購入した服が本当に良かったのか確信が持てなかった場合でも、友達に「かわいい服だね」と言ってもらえると「この服を買ってよかった」と思うのではないでしょうか。
人と人のコミュニケーションでは、理解の共有は当たり前のように成り立つと考えられますが、AIとも理解を共有し、対人関係のようなものを感じられるのかということが現在の研究関心の一つです。
・研究はどのような手法で行っていますか。
― 基本的には実験や調査を行い、統計的な手法に基づいて研究を進めています。具体的には、先ほど述べたように、人がAIとの間にも「理解を共有できた」という感覚を抱けるのかを調査したり、それを実験によって検証したりしています。また、同じく人間科学専攻の平石界先生や他大学の教員を含めた大きなプロジェクトもあり、そこでは「AIと人がコミュニケーションをとることで、人の信念を変化させることができるのか」ということを研究しています。
・心理学の方法論が変わったとおっしゃっていましたが、具体的にどのように変化したのでしょうか。
― 平石先生がリーダーでやられているプロジェクトの話なのですが、そちらでは、AIを使用して、AIとの対話で得られたデータを使用し、今までにはない計算方法から人の心を表現してみようと試みています。従来は人にアンケートを取り、それを数値化し、統計的に処理をする方法が主要な研究方法でした。一方、AIと人がコミュニケーションをとることで、実際に言語データが発生します。そのため、その言語データを用い、人の心の多様さを表現しようとしています。従来の心理学では典型的な人物像を想定することが多いのですが、そのように人を一般化しようとせずに、「人は一人ひとり違う」ということにフォーカスを当てています。人の非常に多様な心を、言語空間で得られたデータから表現しようとすることが、今までにないアプローチということになります。
生成AIの活用
・研究でもAIを活用されているとのことですが、生成AIが一般化していることにはどのような考えをお持ちですか。
― 正直、人間は便利な道具が出てくると、それを使わずにはいられない存在だと思っています。なので、使うなと禁止することは大変難しいことだと思います。絶対に使うだろうなという考えのほうが強いです。ただ、まだ諸権利の侵害を含めた法整備が整っていないため、その都度人が対応する必要はあると思っています。
・では、教授の授業内では積極的に生成AIを使用しているのでしょうか。
― 人間科学諸領域Ⅱという授業で社会心理学について扱っているのですが、そこでは、課題の一部については生成AIを使用することをむしろ推奨しています。ただ、AIが出力してきた答えをそのまま課題として提出するのではなく、AIの回答に自分で疑問をもってAIに質問し直してみたり、別の聞き方をしてみたり、情報源を自分の目で確かめるように、と学生に伝えています。
・具体的にどのような課題なのでしょうか。
― その授業では社会心理学の古典研究を扱っています。例えば「服従」が原因で起こったと考えられる社会的な事象を調べて記述する課題を出します。歴史的な事例について、生成AIにそれぞれ服従にあたるのかを聞き、それを確かめます。確かめたうえで、事例のどの部分が服従に値するのか自分なりの言葉でまとめ、提出するという課題です。
数学・統計について
・実験には「理系」というイメージがあります。実際に人間科学専攻で数学的技能はどの程度必要とされるのでしょうか。
― 少なくとも人間科学専攻の中で社会学や心理学を学ぶためには、統計・数学の知識は必要になります。実際「研究法基礎」という授業で人類学、心理学、社会学の方法論をそれぞれ学ぶのですが、社会学パートでは統計の勉強をするため、統計の勉強は避けて通れません。
・高校で数学が苦手だった学生もいるかと思います。統計や数学を学ぶ上で、高校数学の基礎知識は必要なのでしょうか。
― 高校数学の統計が身についていなくても問題ありません。研究法基礎の授業だけでなく、社会学の織田先生や心理学の平石先生が統計の授業を開講されています。一から丁寧に学んでいくため、高校で数学の学習をしていないからできない、ということはないと思います。そこを不安に感じる必要はありません。
私のゼミに所属している学生も、ほとんどが統計を学び卒論を書いていますが、平石先生の授業を受けることを必修にしています。基礎からやっていくので、「苦手でもやる」という意思が重要です。皆さん苦手意識はあると思いますが、卒論を書く上で必須なので、頑張って学んでいますね。
求める学生像
・人間科学専攻に向いている学生の特徴を教えてください。
― 当たり前かもしれませんが、人に興味があることです。「人ってなんでこんなことをするんだろう」や、「どうしてこの人はこうなんだろう」など、とにかく「人って何だろう」と考えられる学生が向いていると思います。そのアプローチ方法はいくつかあるにしろ、この意識は共通しています。社会的な変数からアプローチするのが社会学ですし、文化や慣習からアプローチをするのが人類学や文化人類学です。心理学は内部的な心の働きから考えていきます。そのため、人に興味はあるけれど、アプローチ方法が分からない、明確になっていないという学生にも向いているかもしれません。
・興味のあるアプローチ方法を見つける時期はいつでしょうか。
― 2年生です。人間科学諸領域Ⅰ~Ⅳの授業で、心理学、社会心理学、社会学、文化人類学について学びます。この4つの授業を2年生のうちにすべて取ることを推奨しています。これらの授業から、人間科学専攻の大枠を学んだ上で、2年生の冬にゼミ選択を行います。なので、アプローチ方法や考え方は、この諸領域Ⅰ~Ⅳと、先ほど述べた研究法基礎の授業から2年生のうちに学んでもらっています。
専攻の雰囲気・進路
・学生の雰囲気の特徴はありますか。
― 人数も多いので、全体的な傾向はなく、幅広い人がいます。多様性ですね。
・卒業後の進路について教えてください。
― こちらもそこまで傾向はないのですが、私のゼミですと、銀行や保険などの金融系や広告代理店、メーカーに就職する人がいます。あと、偶然ではありますが、航空会社に就職する人も何人かいました。院に進む人はとても少ないですが、就職先は非常に多様です。

人間科学専攻に進む意義
・最後に、「人間科学」を学ぶ意義とはどのようなものでしょうか。
― 人間についてさまざまな角度から考えられることかなと思います。社会学、人類学、心理学、社会心理学という4つの領域から学べるので、人間について迫ろうとした際、そもそも迫り方が多くあることを学べます。さらに、個々人の教員が研究している分野も本当に多様なので、いろいろな角度から人間について学べるチャンスがあることが大事だと思います。最終的にゼミに入る際は、特定の研究関心に狭めていくわけですが、その過程として、多くの分野のものを見ることができます。最後に狭めたとしても、今まで学んできたことは無駄だったということは全くありません。むしろ、いろいろ学んできたからこそ面白いことが見つかりますし、狭い分野に絞っても、「全部このようなところで繋がっていた」という広い見方に戻れます。このように視点を広くしたり狭くしたりする力が養えるということは、人間科学専攻で学ぶ魅力の一つかなと思います。
(松井椛音)