《甲子園という魔物》(第8回)投手だった高校時代 「大輔いたから今の自分がある」 栃木ゴールデンブレーブス・村田修一選手

甲子園という魔物

初めての夏の甲子園、最後のマウンド

夏の初戦では、のちにプロ野球・横浜でチームメイトとなる古木克明選手(元横浜―オリックス)が所属する豊田大谷(東愛知)と対戦。先発マウンドに上がったが、古木選手に先制タイムリーを打たれるなど6点を失った。自身の走者一掃のスリーベースなどで終盤に4点を返すも、あと一歩及ばず初戦敗退。甲子園球場にもう一度戻ってきたいという思いは湧かず、春に抱いた野手挑戦の思いを実現するため、大学進学の意思を固めた。

高校通算は30本塁打。しかし守備練習の経験はほとんどなく、野手として活躍できる自信があったわけではない。プロに入る前に、大学で野手としての力試しを図りたいと考え、日大野球部の門をたたいた。

「野手・村田」の原点

大学以降の野手挑戦が実を結び、2003年のプロ入り以降、本塁打王を2度獲得。09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第2回大会では、侍ジャパンの4番を任された。この時、同じ1998年夏に甲子園大会に出場した松坂投手、杉内俊哉投手(現巨人)、藤川球児投手(現阪神)らとチームメイトになったが、あの夏について語らうことは後にも先にもなかった。

プロに入って松坂投手と初めて対戦したのは06年のWBC壮行試合だ。この試合で松坂投手から本塁打を放ち、「大輔がアメリカに行く前に本塁打を打ててよかった」と話す。

「大輔がいなかったら、今の野手・村田はなかった。野球選手を続けられているのは、同世代で切磋琢磨した仲間のおかげです」。彼らと対戦するという最大の目標を与えてくれた甲子園には、今も感謝の念があるという。

(椎名達郎)

村田修一(むらた・しゅういち)

1980年12月28日生まれ、37歳。東福岡高のエースとしては3年生の春夏に連続で甲子園大会に出場。

日大を経て、2002年ドラフト自由獲得枠で横浜ベイスターズ(当時)に入団。プロ入り後は、三塁手としてベストナイン4度、ゴールデングラブ賞3度、本塁打王2度受賞。

09年WBCでは日本代表の4番を任され、打率3割2分、7打点を記録し、大会連覇の立役者となった。

横浜に9年、巨人に6年在籍したのち、今季からプロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに入団。6月の月間MVPを獲得するなど、好成績を維持している。