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《甲子園という魔物》(第3回)絶叫実況「慶應サヨナラー」 甲子園名物アナ、33年目の夏 NHKアナウンサー・小野塚康之さん

〈第5球を投げた、直球打った、二塁ランナーが帰ってきた、センターバックホーム、ランナー滑り込む、タッチはできないホームイーン! サヨナラー! サヨナラー! 慶應サヨナラー!〉

豪速球のように言葉を繰り出し、試合終了まで決して「球威」を落とさない。そんな小気味よい甲子園実況がNHKラジオから聞こえてきたら、その声の主は小野塚康之アナウンサーに違いない。5日に行われた第100回夏の甲子園大会第1日の第3試合、慶應義塾高(塾高)(北神奈川)— 中越(新潟)の一戦でも実況を担当した。

「甲子園は人気の『老舗』。その熱と香りにひかれて行列ができる」。高校生の野球を観るため、満員時は阪神甲子園球場に4万人以上の観客が詰めかける。行列を絶やさぬよう、実況を通じて32年以上にわたり野球、甲子園の妙味を伝えてきた。

学習院高等科(東東京)在学時は、自身も球児だった。しかし、甲子園には手が届かなかった。「それでも野球の役に立ちたい」。甲子園との接点を持ちたい一心でアナウンスの道へ。1986年春の選抜大会では念願叶って初の甲子園実況を任された。

しかし、場数を踏めば踏むほど、甲子園はより遠くに感じられた。「甲子園に『お前はいい。そこまでだ』と言われている気がして。どうやっても近づけないものに、自分はいつまでもうじうじと近づこうとしている」。アナウンサーとして、ただ自分が思い描く野球の面白さを伝えることしかできない。

モットーは「日常が良くならないと、アナウンスも良くならない」。それが意味するのは、単に日々の発声練習を欠かさないことだけではない。

〈あり得る最も可能性の小さい、そんなシーンが現実です!〉

2007年夏の甲子園大会、佐賀北(佐賀)— 広陵(広島)の決勝。八回裏、佐賀北の副島浩史選手が放った逆転満塁本塁打のラジオ実況は「小野塚語録」として高校野球ファンの間で今も語り草だ。

実はこの時、本塁打がスタンドに入ってから副島選手がダイヤモンドを一周する間、実況中継では数秒間の沈黙があった。劇的な一打に沸き立つ甲子園球場の雰囲気を伝えるための意図的な沈黙だったのか。

「いや、あの歓声はあの瞬間の甲子園を支配する空気に近かった。空気には逆らえない。沈黙は演出ではなく、あそこで何か言うほうが勘違いなんです」

アナウンサーは、視聴者が何を聞きたがっているのかをとっさに感覚でつかみ、反応することが求められる。だからこそ「日常」という土台を固めることが大切だという。

昨年に定年を迎えたが、今年もシニアアナウンサーとして甲子園球場の実況席に座る。自身の実況を球種に例えるなら「ど真ん中のストレート」。現役33年目の夏も、そのスピードとコントロールにますます磨きがかかる。

「松井(秀喜)もイチローもプレーした舞台。ここ(甲子園)が野球界に繋がっている。野球しかやってこなかった僕にはここしかない」

一日分の試合が終わり、がらんとした甲子園球場を眺めポツリ、「僕はプロの観客。それも超一流の、です」。

(広瀬航太郎)

小野塚康之(おのづか・やすゆき)

1957年5月23日生まれ、61歳。学習院高等科、学習院大学を経て80年にNHK入局。86年春の選抜大会で甲子園実況デビューを果たす。これまでに実況した主な試合に、98年夏の準決勝・明徳義塾(高知)— 横浜(東神奈川)、2004年夏の決勝・済美(愛媛)— 駒大苫小牧(南北海道)など。

17年にはNHKを定年退職するが、以降も嘱託職として大阪放送局でアナウンスの仕事を続けている。甲子園に近づきたいあまり、西宮市甲子園町の球場が見える場所に自宅を構える。

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