大学生は往々にして「刹那主義的」な生き物だ。目先の快楽に惑わされ、時に軽率な行動をとる。遊びに惚けて単位を落とし、飲酒で大きな失敗をする。時間的余裕と大人としての自由が、弱い私たちのリミッターを外す。

「刹那」はもともと仏教用語で、「一瞬」という意味を持つ。その長さには諸説あるが、指を一回弾く間に65の刹那が存在すると言われる。曹洞宗を開いた道元禅師も、かの有名な『正法眼蔵』の中で「刹那生滅」について記述した。全てのものは刻々、生まれては滅しているというのである。その教えの中に、今日の私たちが抱く否定的印象は存在しない。「那」という漢字が「美しさ」を示すことからも、その繊細さが読み取れる。

刹那主義的な生き方は、途方もなく楽で、麻薬的に甘い。そして甘いからこそ、舌が鈍って判断を誤ることもあろう。しかし大学生活はまさに一瞬、人生におけるたった「刹那」だ。僅かに供されたこの時間を、享楽的な刹那主義で潰してしまいたくはない。

「那」と表された美しさ。残された時間を、言葉の指し示すような美しいものにしてゆきたい。私はこれから、「刹那」をつくり上げてゆくことができるだろうか。

(神谷珠美)