私たちの歴史なのに、忘れてしまっているもの。私たちに直結しているのに、疎遠に感じるもの。近代は、私たちと過去との繋がりを断絶した。民俗学は、その過去に着目する。第29回三田文學新人賞を受賞した論考「〈残存〉の彼方へ」は、民俗学研究の第一人者、折口信夫に新しい光を当てた評論だ。今回は、著者、石橋直樹さん(慶大法3年)に話を聞いた。

 

創作を始めたのは高校生の時だった。柳田国男に強い関心を抱いていた石橋さんは、高校の卒業論文で論考「ザシキワラシ考」を執筆する。これが2020年度佐々木喜善賞奨励賞を受賞、さらに『現代思想』2022年7月臨時増刊号に所収された。大学入学後は、折口信夫へとその関心は移る。執筆をつづけようとしていた石橋さんは、以前から関心のあった三田文學新人賞に、論考「〈残存〉の彼方へ」を応募し、受賞にいたった。

 

石橋さんは普段からSNSで発信も行っている。その投稿には、著名な民俗学の研究者ゆかりの場所が多くみられる。石橋さんは、休みを利用して、そのような場所を訪れているという。「民俗学に関する書物には多くの地名が出てきます。その地名を追い、現地に行くことでしか得られないことがある。民俗学にとってそのような体験は、大切です。」現地での体験が、民俗学にとって重要なのは、折口のエピソードからも分かる。当時、中学生だった折口は、和歌山県の山地で偶然、だんじりを目にする。そのだんじりの竹籠の長く伸びた髯が揺らめく姿に、折口は彼の考えの着想を得た。何気ないことでも何か違うこと、気になること。その体験が、民俗学の入り口となる。

 

近代になり、人々は様々なものから解放された。本来人間を制約するはずの自然、土地などの意味が薄れていき、自由になっていった。しかし、同時に、近代は人々から過去との繋がりも奪ってしまった。今までの文化伝統が形式化、形骸化し、人々は、それらが持つ意味を忘れた。その伝統を守ろうとする動きもある。しかし、すでに形骸化してしまった伝統をどのように生き生きと再構成していくか。石橋さんは疑問を投げかける。

 

私たちを作ったものに関わる民俗学を、私たちから遠く離れたものではない。実際に訪れたり、触れたりすることで実感を得る。我々にとって意味を失った=実感を失った伝統に対するアプローチを折口は、与えてくれる。石橋さんは最後に、「今後も折口について学び、私たちの記憶について理解を深めたい」と語った。

 

鈴木廉