社会起業家。社会の抱える様々な問題を革新的な事業活動によって解決していくイノベーター、特にビジネスとしての事業性を確保しながら解決しようとする人のことを指す。単に行政に頼るのではない市民の新しい社会貢献の形として、現在注目を集めている。今回はユニークな手法で社会変革を起こしている、3人の塾員を紹介したい。

(小串聡彦・宮島昇平)

 
 
 熱を出してしまった子どもを、保育園に預けることはできない。けれど、仕事を休むこともできない。育児と仕事を両立する親にとっては、よくある悩みだという。

保育業界最大の難問といわれてきたこの「病児保育」に解決策を見出したのは、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さん28歳である。

 学生時代は年間数千万円を売り上げるITベンチャー・株式会社ニューロンの経営者だった。メディアにも学生ベンチャーとして取り上げられ、事業も順調。しかし次第に、働く意義を見失っていく。

 「技術革新は誰のための革新なのだろうという疑問が浮かびました。自分が何の為にこのITベンチャーで働いているのか分からなくなって」

 卒業が間近に迫ったころ、悩んだ末に出した答えは「社会の役に立ちたい」。金儲けだけをモチベーションの源泉にするのは辛くなっていた。

 その矢先、彼は偶然あるアメリカのNPO団体のウェブサイトに行きつき、言葉を失った。そのNPOには、最高経営責任者(CEO)や、マーケティング・ディレクターまでいた。そして事業化をし、経済的にも自立していた。

 「ボランティアの延長にすぎないと思っていたNPOが、ここまで発達しているのかと目を疑いました」 

 「これだ」。嬉しさのあまり全力で走りたくなる衝動に駆られた駒崎さんは「事業によって社会的問題を解決する」社会起業家を志した。そして学生時代、ベビーシッターでもあった彼の母から良く聞いていた、ある事件について思い出した。

 駒崎さんの母親は、あるとき双子の子どもを持つお客さんから、「お預かりは今日が最後でいい」と告げられた。「実は……」とお客さんはつづけた。「子どもが代わる代わる熱を出して、看病のために会社を度々休んだら解雇されてしまったんです。だからもうベビーシッターは要らなくなったんです」と。

 「子どもを看病するのは当たり前。それで職を失う社会はおかしいと思いました。急に腹立たしくなりました」

 「病児保育を何とか解決し、世直しで飯を食べたい」。そう決意した駒崎さんはITベンチャーを共同経営者に譲渡し、退社した。
 だが、「新たなビジネスで病児保育を解決する」と人に考えを伝えても100人中95人に反対された。「子育て経験もないのに子育ての何がわかる」、「今まで誰も成功してこなかった病児保育。君には無理」、などと駄目出しをくらった。

 確かに「病児保育」は子育て領域で最も立ち遅れている分野。ニーズの高いサービスであるにもかかわらず、儲からなからないため、全国の保育所で病児保育を実施しているのはわずか約2%。約9割以上の病児保育施設が赤字だった。

 しかし、駒崎さんは二つの斬新な取り組みに出た。まず小児科医と連携しながら地域の子育て経験者の自宅で看病してもらう「施設を使わない」保育を考えつき、コストを格段に抑えることに成功。そして、毎月月会費をもらう「会員制」を採用し、収益が安定しにくい病児保育の難点も克服した。

 かくして03年NPO法人フローレンスを設立。3年目から黒字になり、現在では東京都内13区にサービスを拡大し、利用会員数は約300人となっている。政府もフローレンスのビジネスモデルを模倣し始めた。そして07年にはニューズウィーク「世界を変える社会起業家100人」に選出されている。

 超多忙の中の取材にもかかわらず、駒崎さんはすがすがしく最後にこう話してくれた。
 「社会を変えるのは政府だけではないんです。私たちにもできるんですよ」
 
 

1979年生まれ。99年慶應義塾大学総合政策学部入学。01年(有)ニューロンに共同経営者として参画し、同社代表取締役社長に在学中に就任。同大卒業後、ITベンチャーを共同経営者に譲渡。退社し、「フローレンス・プロジェクト」を学生時代の後輩と共にスタート。04年内閣府のNPO(特定非営利活動法人)認証を取得、代表理事に就任。現在は、都内で働く家庭のサポート事業を拡大する傍ら、講演、メディア出演、行政との連携など、病児保育や働き方に対する社会全体の取り組みを活性化させることに努めている。