喊声

喊声 2017年4月号 「当たり前」を疑う勇気

長い冬が明け、春が訪れた。春という季節は出会いと別れの季節である。私自身、大学生ということもあり周りの環境が劇的に変化することはなさそうで、電車で見かけるサラリーマンに想いを巡らせながら、最後の青春を謳歌している。

大学生は時間があるように見えて、実は自由に使える時間は限られている。本格的に何かをやるとしたら中途半端に終わり、惰性で過ごすには4年間という時間は長すぎる。しかし、不安になり過ぎる必要はない。

現代では、SNSなどが発達し、若者を取り巻く環境は変化している。しかし昔と比較することはナンセンスであり、時代が変われば人間も変わる。時代に合った生き方を考える時間は若者にはたっぷりある。

SNSは多様性に富んだ意見を我々に届けてくれるかのように見えるが、実はそうではない。説得力のあるように見える誰かの意見が拡散される。我々はその中に自分をはめ込んでいるに過ぎない。言うなれば、客観の中に自分がいる時代である。

「世間」が引いたレールから外れてしまうのを悪とするのは、せめて社会人になってからにしたいものだ。自分の頭で物事を考えられる大人になるために、只今勉強中である。
(長谷川裕一)

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