慶應義塾の学問の庭、三田キャンパスが生まれたのは明治7年。100年以上、変わりゆく田町の街並みを見守り続けてきた。街は呼吸をするように常に変化している。三田キャンパスの最寄駅である田町駅周辺も、5年後に東京オリンピック・パラリンピックを控えた今、大きな進化を遂げようとしている。

都市計画決定において主に事業者と法に基づく協議を行っている港区役所・街づくり支援部の中山祐一さん、開発指導課の吉野智彦さん、海老原輔さんに、具体的な再開発の内容について話を聞いた。

塾生への影響は
現在施行中で最も大きな事業の一つに「田町駅東口北地区」土地区画整理事業がある。山手線沿線の、かつて東京ガスや港区等が所有していた広い土地には全く新しい街並みが生まれつつある。

生活施設とつながった田町駅の未来図(港区HPより提供)
生活施設とつながった田町駅の未来図(港区HPより提供)
特徴的なのは、その街並み全体がJR田町駅に直結していることだ。商業施設、ホテル、オフィス、スポーツセンター、病院、保育園及び港区役所支所等の区の施設、そして芝浦公園が全てバリアフリーの歩行者デッキでJR田町駅と結ばれる。商業施設やホテルが外部から人を呼び込み街に活気をもたらす一方で、プールを完備したスポーツセンターや、緑あふれる芝浦公園で運動を楽しみ、地域の住民も生き生きと暮らすことができる。



近い将来、これまで芝浦を訪れていなかった塾生たちも、これらの施設が全て駅直結になることで、憩いの場や昼食を求めて気軽に三田キャンパスから移動することができるようになるだろう。

2020年にはJR山手線の新駅が、田町、品川間に開業することが暫定している。東京五輪後も、国際的な交流拠点を目指して開発が進められていくという。塾生の通学にも大いに影響してくることだろう。

ゴールは東京五輪の先
そもそも再開発とは、常に変わりゆく住民のニーズに合わせて、長期にわたり計画、実行されるものである。田町駅の海側、通称・芝浦アイランドの開発事業は、もともと25万4000人であった港区の人口が平成8年までに14万人を切って大幅に減少したことを受け、新たな人口確保のために計画された。芝浦・港南の都電跡地に新たな住宅施設が建設され現在は24万人にまで回復している。   

その近く芝浦一丁目のヤナセ本社跡地で建設中のGLOBAL FRONT TOWER も、すでにマンション棟全戸の入居者が決定している。田町は今、新しく開発された住みよい街として再び注目を集めている。

田町駅周辺の再開発は、田町という街が常に機能を更新しながら、目先の東京オリンピックだけではなく、次の世代も長く住み続けることを目指して計画されている。十年後、百年後、田町はまた違った顔を見せてくれるに違いない。
(平沼絵美)