
教授の半生や研究の歩み、教授に至るまでの道のりを紹介する新企画「学問のすゝめ~教授インタビュー~」。第1回は、植物分類学を専門とし、日吉キャンパスの「日吉の森」保全活動にも携わる有川智己教授に、研究分野やこれまでの歩みについて聞いた。
●専門はコケ植物の分類
有川先生の専門は植物分類学、特にコケ植物だ。地球上の多様な植物の「正体」を見きわめ、種の識別を進めている。生物多様性の保全や絶滅危惧種の情報収集にも取り組む。新種を自ら発見した経験は「まだない」と率直に語る一方、散在する新種の知見を整理して種を統合する仕事も担ってきた。
●高校生物部から未知の領域へ
もともと理科が好きな学生で、高校では生物部に所属。苔植物という、ほぼ手付かずの未知の領域に惹かれ、「探求してみたい」と決めた。大学進学後は、連続テレビ小説「らんまん」の舞台ともなった東京大学の植物学教室で学びを追求した。学生時代はオリエンテーリングのサークルに参加し、高校時代の仲間と地域の自然観察団体も立ち上げ、自然と関わる道を進んで行った。
●研究者への道
植物の研究を面白がって続けるうちに、必然的に大学院に進学。同じ教室の仲間たちも、やはり皆研究がしたくて大学に行っているので、ほぼ全員が大学院に進んだ。博士課程まで進み、博士号を取得。就職した方が良いと言う声もある中で修士から博士にまで進んだ理由は「面白いから」。大学院の数が急拡大し、卒業後の働き口もある程度は保証されていたため、後先考えずに進学しやすかった時代背景もあった。奨学金の条件も現在よりは良く、教育職に就けば返還免除になる制度が支えになった。大学院卒業後は博物館の学芸員に憧れ、どんな形であれ研究と教育に携わりたい気持ちが背中を押したが、博士号を活かせるポストはそう多くないのが現実。仕事の募集には片っ端から応募したという。博士号取得後は広島大学で一年を過ごした。博士号を有する人間は専門がはっきりしているがゆえに、活躍の場が絞られる難しさも感じた。同期には特許関連の仕事に就いた人や中高の教員になった人もおり、「どんな仕事に就いた人でも、大学での研究は何かしら役に立っている」と話す。一方、慶大の生物学教室では、助教の任期満了に伴い再就職に苦労する研究者も多くいるという。そうした状況を踏まえ、有川先生は「私は運が良かった」と語った。
●これからの展望
大学教員は学内運営や所属する学会の事務といった「見えない仕事」が多い。有川教授が所属する植物分類学をはじめとする小規模な学会では、研究者がボランティアで回すことばかりだという。「事務仕事はなるべく減らしたい」と苦笑しつつ、自分一人でコツコツ進められる研究時間を増やし、コケの分類をより緻密に体系化するため、コケ分類の「決定版」の論文を出したいと語る。
●慶大生と「日吉の森」
慶大の学生については「飲み込みがよく、授業が楽」と評価する。荒れた日吉の森を本来の姿に戻すことを目的として行われてきた日吉の森の雑木林管理は、前任の先生たちが脈々と受け継いできたもの。「誰かがやらなければならない。だから私がやる」。専門外の領域でも、次の世代に引き継ぎ、いずれ現れるかもしれない森林マネジメントの研究者に本格的に渡したいと意気込みを語った。
●若者へのメッセージ
近年は補助制度も少しずつ拡充し、大学院卒業後の環境はわずかに改善してきた。それでも不安は尽きないと思います。しかし、「先のことなんて誰にもわからない。行けばなんとかなる。その道中には楽しいこともたくさんある」そうやって気楽に進んできた人が意外となんとかなっているケースが多いと言う。思うようにいかない現実を直視しながら、歩みを止めない気持ちが道を開く。有川先生の半生は、その静かな確信で結ばれている。
(馬場俊輔)