< 今年、創立150年を迎えた慶應義塾。それに伴い記念事業が進められ、各キャンパスは新しい景観に変貌を遂げる。創立100年時に建設された日吉記念館も2010年秋には収容人数1万人規模で生まれ変わる予定だ。150年の歴史の中でキャンパスは大きな変遷を見せてきた。今回は、かつてのキャンパスの姿を、福澤諭吉の精神に由来した萬来舎を例に振り返ったうえで、新たな環境に向けての姿勢を問う。

かつて、三田キャンパスには演説館に隣接して「萬来舎」という建物があった。萬来舎は明治初期に福澤諭吉が「千客万来」の意から様々な人々が談話する場として創設したものに端を発する。権威を問わず、教職員や塾生や塾員など志を共にした人が集い、自由な交流を大切にする福澤精神から生まれた。

創設当時の建物は木造平屋の簡素なもので、誰でも自由に出入りができ、福澤諭吉も度々訪れ、来客と談話をしたという。以来1945年の戦災で壊滅するまで「萬来舎」という名の建物は改築や移転を繰り返し、引き継がれた。

第2次世界大戦後の1951年には、創立90年事業の一環として、建築家谷口吉郎の設計による萬来舎(第二研究棟)が建てられた。その1階部分に彫刻家イサム・ノグチによる談話室と彫刻作品が置かれた小庭園がつくられた。これには谷口吉郎とイサム・ノグチのコラボレーションにより当初の萬来舎の精神を再生する意図があった。

この萬来舎のあるキャンパスで塾生時代を過ごした末吉雄二名誉教授は、「当時の萬来舎は建築家と彫刻家の感性の擦り合わせによって完成した空間だった。これは、異分野の横断という点で、モダンアート・シーンにおいても重要な意味を持つ。レンガの壁面を、引掻いて偶然によって生まれた幾何学模様にしたことや、床面の石の配置バランス、彫刻がある庭を抱えこむような建物の空間デザインも見事だ」と語る。萬来舎は建物だけでなく庭園や人との関わりを含めた空間そのものに価値をおく意図でつくられたものだった。

しかし、2003年、南館建設のために萬来舎は解体され、その一部の「ノグチルーム」という談話室は南館のルーフ・テラス部分に移築された。

南館に移築された「ノグチルーム」の内部は現在、白い布で覆われており自由に出入りすることはできない。末吉氏は、「演説館で講演会が行われた後、ノグチルームでビールを飲みながら談話した思い出がある」と懐かしそうに話し、現在のノグチルームについて「あるじ不在の場所という印象受ける」という。

萬来舎は、継承の仕方にも問題があったためか、時代と共に、キャンパスの建物の高層化や新たな建設事業により姿や役割を変えた。空間そのものに意味があっただけに、今ではその美的な価値が失われただけでなく、福澤精神に由来する意義が見失われつつある。

しかし、かつての萬来舎の意図やデザインを推測するだけの材料は残っているのだから、そこから伝統や空間の価値を汲み取り、この先の新たな歴史に繋げていくのが重要なのではないだろうか。「キャンパスの歴史は管理者だけでつくるものではない。学生は提供された環境を消費するだけでなく、自ら伝統のつくり手になってほしい」と末吉氏が語るように、キャンパスの環境が変化している今、自分の問題として考え行動する必要があるのではないか。

(KEIO150取材班)