今月18日の明大戦、慶大は延長12回の末、最後は二死一、三塁から敬遠暴投でまさかのサヨナラ負けを喫した。

敗戦自体は仕方のないことかもしれない。しかし、ここでの問題は先発したエース加藤拓也投手(政2)が11回2/3、213球を投げて完投した点である。

日本では1人の投手が多くの球を投げて完投した際、「魂の投球」、「熱投」など美談として語られることが多い。今回の加藤投手のピッチングもその例に漏れなかった。しかし本来、これは美化されてはならない。1人の投手が1試合で200球以上も投げれば相当な負荷が投手にかかり、当然怪我のリスクも増す。学業の延長線上である部活動において怪我のリスクを助長させるような采配は本来許されてはならない。これは大学野球のみならず、日本の学生野球全般に当てはまる話である。

若い投手の球数に関する議論はしばしば行われている。特に高校野球では甲子園など連投が当たり前の世界であることから度々投手の投げ過ぎの問題が取り上げられる。最近では昨年のセンバツ甲子園で済美高校の安楽智大投手が5試合で772球を投じたことが大きな議論を呼んだ。

しかし甲子園の陰に隠れてしまうせいか、大学野球における投手の投球過多の問題はあまり取り上げられない。むしろ高校野球よりも大学野球のほうが投球過多の問題は深刻なのではないだろうか。

負けたら終わりのトーナメント方式を採用している高校野球とは違い、大学野球は東京六大学を含め2戦先勝のリーグ戦方式を採用しているところが多い。1戦目に先発したエースピッチャーが2戦目に中継ぎをしたり、3戦目に再び先発したりすることは決して珍しいことではない。東京六大学野球を例にとれば、6チームによるリーグ戦のため、中1日で先発、あるいは2~3連投するケースが1シーズン最大5回、年間最大10回行う可能性がある。またエースが投げる1戦目を落としてしまうと勝ち点奪取が難しくなることから、今回の加藤投手のように代えるに代えられず延長戦まで投げ切ってしまうというケースも出てくる。東京六大学は採用していないが、東都大学野球など入れ替え制制度を採用しているリーグでは昇格を目指し、あるいは降格を免れるために目先の1戦を勝つための短期的な視点に立った采配が行われてしまう。どうしても大学野球では1人の投手に重い負担がかかりやすい構造となっているのが現状だ。しかもこれが最長4年間続く。若い投手の肩、肘に相当なダメージを与えることは想像に難くない。

海の向こうのアメリカでは「投手の肩、肘は消耗品」という認識が一般的であり、幼少期のリトルリーグ時代から投手の球数・イニング数は厳しく管理される。投手の球数についてはかなり敏感で、安楽投手が甲子園で772球を投げた際にはアメリカメディアは”crazy” (気が狂っている)と表現したほどである。野球の最高峰である大リーグにおいても若手投手に対して厳しい球数、イニング制限をかける球団は珍しくなく、投手の健康を守るため必死に策を講じている。

しかし、しっかりと管理したにもかかわらず、スティーブン・ストラスバーグ投手(ワシントン・ナショナルズ)やホセ・フェルナンデス投手(マイアミ・マーリンズ)のようにトミー・ジョン手術(側副靭帯再建手術、肘の靭帯断裂に対する手術)を受け、1年以上を棒に振るという重大な故障をしてしまう若手投手が後を絶たないことも事実だ。厳しく投手の健康管理をすることで怪我のリスクを減らすことはできても、ゼロにすることは不可能なのである。結局のところ、故障する投手はどれだけ管理しても怪我するし、一方でどれだけ投げても全く怪我をしない投手も存在する。ある投手が上記のどちらに分類されるかは結果論で判断するしか他にない。

とはいえ重大な故障をしてしまってからでは遅い。球数・イニング数の管理をしても故障する可能性はあるものの、だからといって1試合200球のような明らかな投球過多は貴重な才能を潰しかねない。そのため怪我のリスクマネジメントという観点から、チーム単位である程度の球数・イニング数の管理は当然必要となってくる。幸いなことに加藤投手は明大との2戦目、3戦目には登板しなかったことから、この点については髙多助監督の配慮が伺えた(その代わりに三宮投手が連投することにはなってしまったが)。

大学野球レベルで活躍できる投手は野球界にとっての財産である。各校の監督にはその財産を預かっているという意識を忘れずに、投手起用を行ってほしいところだ。

また野球を見る側の人間である我々も投手の球数に関しての認識を改めなければならない。学生野球において多くの球数を投げることが美化されてしまう現状については我々ファンやメディアにも大きな責任がある。認識を改め、無理な投手起用をさせない空気を作っていくことが今後求められる。 (上井颯斗)