【名作探訪】ジョージ・オーウェル『一九八四年』2009年 ハヤカワepi文庫

村上春樹『1Q84』が空前の売れ行きを見せている。そのタイトルや内容から、60年前に書かれたジョージ・オーウェルのある作品を想定して書かれていることは明らかだ。今月は、折しも早川書房から新訳が刊行された『一九八四年』を紹介する。
〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が全てを支配する全体主義的共産社会のもと、ウィンストン・スミスは党員として歴史を改竄する業務に従事していた。
あらゆる物が党の管理下にある。政治経済歴史文化はもちろん、人間の思考や感情まで例外は一つも認められない。全てが党のために存在する世界。そんな体制に疑問を抱いたウィンストン。その小さな反逆心は次第に彼の中で大きくなっていく……。
作中にはテレスクリーンと呼ばれる監視装置が登場する。これは街中だけでなく各家庭に必ず設置され、市民の言動を常に見張り続ける。不審な点が見つかれば―僅かな表情の変化でさえ―即刻〈思考警察〉に逮捕され、存在自体を抹消されてしまう。おぞましき監視社会である。
テレスクリーンは明らかに全展望監視システム(パノプティコン)の謂いであり、フーコーの用いた比喩と同じ文脈にある。
〈どんな音でもテレスクリーンが拾ってしまう。さらに金属板の視界内に留まっている限り、音だけでなく、こちらの行動も捕捉されてしまうのだった。もちろん、いつ見られているのか、いないのか知る術はない。…(略)…物音はすべて盗聴され、暗闇のなかにいるのでもない限り、一挙手一投足にいたるまで精査されていると想定して暮らさねばならなかった―いや、実際、本能と化した習慣によって、そのように暮らしていた。〉
『一九八四年』の世界観は極端ではある。だが一笑に伏せるような生易しい虚構でもない。
90年代後半、ウィンドウズ95の登場でインターネットは一般に普及した。世界規模の情報化が進み、今現在、情報はほとんど飽和状態である。
情報を得ること、管理すること、統制すること。これは権力行為だ。住基ネットの議論はまだ記憶に新しく、人々は個人情報がきちんと管理されることを望み、漏洩しようものなら般若の如く怒り狂う。ブログやSNSの登場で、プライバシー保護と声高に叫びながら、プライベートな事柄を簡単にウェブ上に書き込む。防犯という大義名分で監視カメラの数は急増し、グーグルストリートビューは国内で物議を醸した。
情報過多になれば当然それを管理する機能が要請される。情報を際限なく求めることで実は私たちは情報の管理を無意識に求めている。それは即ち、自分たちの管理に繋がらないだろうか?情報は力なのだから。
今回は敢えて〈監視〉というコードを用いたが、〈二重思考〉〈言語統制〉〈資本主義対共産主義〉など、『一九八四年』作中に織り込まれたクリティカルな問題提起は今こそ考えられてしかるべきものばかりだ。洗脳されていく人間の描写も生々しい。是非とも一読して欲しい作品だ。
そして読んだ後に想像していただきたい。自分が毎日向き合っているパソコンが、知らぬ間にテレスクリーンに変わってしまっている、そんな未来社会を……。
(古谷孝徳)