《甲子園という魔物》(第1回)デジャヴの九回1死一塁 打球後逸で終わった夏 東京ヤクルトスワローズ・上田剛史選手

甲子園という魔物

迎えた1回戦の文星芸大付(栃木)戦。関西は序盤から4点を奪うも、まもなく追いつかれる。再び5点を追加するが、それも2点差に詰め寄られる展開に、関西ベンチの誰もが今までの甲子園での負け試合を思い出していた。

それでも九回裏、関西が最後の守備に入る前には3点のリードがあった。先頭打者は一ゴロ。勝利までアウト二つとし、「今日は勝てる」と気の緩みが生まれた。

文星芸大付は続く打者がヒットで出塁すると、甲子園が大歓声に包まれた。少しでも拮抗した戦いを期待して、球場全体が文星芸大付の応援に同調し始めていた。

場面は一死一塁。打席の佐藤祥万選手(現広島)が振り抜いた打球は、中堅を守る上田選手の前に一直線に転がってきた。その瞬間、熊代選手の後逸の場面が脳裏をよぎった。

「これをトンネルしたらどうしよう」

ほんの一瞬、意識が目の前の試合から離れてしまった。気づけば、ボールは後ろに転がっていた。

上田選手の後逸により、ランナー一人が生還。マウンド上のダース・ロマーシュ匡(たすく)投手は犠飛を挟んで5連打を浴び、チームは再びサヨナラ負けを喫した。

「3年間が終わった悲しさというのはなかった。『何で勝てる試合を勝てないんだろう』という情けなさ、ただそれだけだった」。目の前の勝負に敗れた悔しさだけが残った。結局、甲子園の土は一度も持ち帰らなかった。

「どんな試合展開であっても、27個目のアウトを取るまでは絶対に気を抜いちゃいけない。あの日を境に『今日はもう勝った』と思うのはやめるようにしました」

高校最後の夏が終わって3年後、甲子園でプロ一軍デビューを果たした。ベンチで感じていた緊張は、グラウンドに立つと消えていた。高校最後の夏を思い出していた。

「失敗しても、それを取り返すチャンスは必ず来る。だから、その時までしっかり準備することが大切なんだと思います」

野球の怖さを突きつけられた甲子園で、人として一回り大きくなった。

(広瀬航太郎)

上田剛史(うえだ・つよし)

1988年10月2日生まれ、29歳。岡山・関西高校では1年からレギュラーメンバー入り。春2回、夏2回の甲子園出場経験を誇る。

2006年、東京ヤクルトスワローズに高校生ドラフト3位で入団。15年には打順1番に座り、レギュラーとして球団14年ぶりのセ・リーグ制覇に貢献。今季でプロ12年目を数える。