コラム

 人間は『ドラマ』が好きである。スポーツの世界では、アスリートの苦労話がドラマ仕立てで語られる事がよくある。確かにスポーツという勝負の世界にドラマ性がちりばめられるのは、その『ドラマ』を見ている者にとっては面白いかもしれない。

 だが、アスリート本人は他人が見ている自分のドラマについて、何を思うのだろうか。本人に、自分が『ドラマ』の主役だという意識はあるのだろうか。

 六大学野球に、恰好の『ドラマ』の材料がある。主役は、法大エース・平野貴志(写真右)、慶大エース・加藤幹典(同左)。二人には奇妙な因縁がある。生年月日、出身小学校が全く一緒なのである。さらに高校時代には、練習試合の中ではあったものの両者は激しい投手戦を演じている(この時は加藤の川和高が平野の桐蔭学園に2―1で勝利)。無論、そんな『ドラマ』を、記者達が放っておく訳がない。ある野球雑誌は早速今春の雑誌の記事で、二人のライバルドラマを特集していた。

 当然の事ながら筆者も、その『ドラマ』に飛びついた人間の一人である。取材前から記事全体の構想を練り、4月22日、神宮での慶法一回戦へと足を運んだ。

 試合は終始、法大がペースを握った。序盤から点を重ね、平野は力投を見せた。慶大・加藤は苦しみながらも味方の援護を待ったが、8回に法大の強力打線に捕まってしまい、あえなく降板となってしまった。かくして、今回の『ドラマ』の真の主役は完投勝利の平野となった。あとは、お互いのライバルに関してのコメントがそれなりに取れればいい―。軽い気持ちで、選手達がロッカールームから出てくるのを待った。

 だが、ユニフォームを着替えた平野の口から出てきた加藤に対する言葉は、驚く程少なかった。「まあ(加藤を)意識しない事はないですけどね」。たったそれだけ。かたや、加藤に至っては、「全然(特別な)意識はなかった」と述べた。正直なところ、あ然とした。記事の構想がぶち壊しになってしまったからでもあるが、何よりも、お互いのライバル意識があまりに希薄だったからであった。

 「何よりもチームの勝利が優先」とは、平野の発言である。ライバルについて簡単に触れた後、お互いの口から出てきたのはチームの勝利への思いだった。法大も慶大も、今回のリーグ戦では優勝候補に挙げられていた。何としても勝ちを手にしたい大一番の初戦に、自分達のライバル関係を意識している場合ではないのである。

 スポーツは、プレーの当事者であるアスリートにとっては言うまでもなく真剣勝負の場だ。当然六大学野球も、そのための立派な舞台なのである。その舞台には、『ドラマ』などという綺麗事は必要ない。そういったある意味当然の事を、平野と加藤の心持ちに、はたと気付かされてしまった。真剣勝負こそ、最高の『ドラマ』である。

 二日後の慶法三回戦で、二人は再び先発マウンドで投げ合った。もちろんそこに、虚構の『ドラマ』は無かった。

(羽原隆森)