論説

【論説 2016年2月号】 ユートピアへの道 情報化社会私観

就職先を選ぶときは、自分の能力や知識を見極める。結婚相手は相性を気にする。買い物では好みと財布に相談するし、食事は味と栄養のバランスを意識するだろう。

人生は選択の連続であり、選択の要は「情報」の分析だ。しかし全ての情報を網羅するのは不可能なので、いつの世も最適解はかすみ、人は悩む。

また、能力や嗜好、性格が完全に一致する人はいない。その差異も情報だ。適材適所というように、自分の長短を把握した者が「正しい」選択をできる。

では仮に、全ての情報をもらさず集め、分析から解の導出までを一手にこなすシステムがあればどうだろう。ボタン一つで自分の成すべきことが分かれば嬉しいし、楽だ。

これは夢物語というわけではない。科学の発展に伴い、情報の質も量も分析技術も格段に進歩した。インターネットはその最たる例だ。通販サイトを開けば「あなたへのオススメ」が表示されるし、SNSで趣味の合う人と繋がれる。その書き込みから人格を再現することまでできるらしい。

経済、嗜好、健康、果ては遺伝子に至るまで、情報の切り口は爆発的に増えた。独りで黙っていても自他を「理解」できる世界は、そう遠くない。

情報化とは結局、個人を情報に分解することだ。これで不安定な思考を捨てられる。例えば企業は就活生の適性と忠実性を「検索」すれば良い社員を選べる。効率的だ。

情報技術、すなわち最適解を導くシステムが確立すれば、もう悩まなくていい。成しうる者が為すべきを為す。人は神託の庇護の下、二度と間違えることはない。

さて、情報依存社会で情報に浸らず、思考を捨てないのは不幸だろうか。実はそうでもない。

情報依存者は導かれた己の「性能」を疑わない。「思考は不要」だからだ。考えない人間は機械同様さぞ扱いやすいだろう。

つまり少し「考え」れば、都合の良い人材が掃いて捨てるほどいるわけだ。依存者を幸せのレールから外さないまま、思考者は彼らを利用して好きなことができる。

ああ、素晴らしい新世界。誰も不利益を被らないとは、不気味なほど理想的な社会ではないか。
(玉谷大知)

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