「両さん」の愛称で親しまれる、亀有公園前派出所勤務の巡査長・両津勘吉が、東京で、そして時に南極や月で繰り広げる騒動記。民家を突き破り、派出所を爆破し、シリーズを通して両さんが請求された賠償金は総額1000兆円はくだらないと言われる。
 
しかし、その滑稽さばかりが、『こち亀』が愛され続ける理由ではない。両さんの無鉄砲な生き方に、図らずも胸が熱くなるエピソードもある。中でも秀逸なのが、コミックス59巻に収録されている『おばけ煙突が消えた日の巻』だ。
 
同話はいきなり両さんの回想から始まる。舞台は、五輪開催を目前に控えた1964年の東京・足立区。その当時、下町の象徴として親しまれていたのが、千住火力発電所だ。高度経済成長期の真っただ中、モクモクと煙を吐き出す姿は、東京が持つエネルギーそのものだった。4本の煙突が、場所によっては1本、2本、3本と数が変わって見えるため、「おばけ煙突」の異名が付いた。
 
小学生の両さんは、担任の代わりに臨時でやって来た教育実習の先生にちょっかいを出しては困らせるが、いざ別れの時が近づくと切なさを覚える。汽車で街を後にする先生に、両さんは「おばけ煙突」を使って誰も予想だにしないサプライズを仕掛ける。心温まるもどこか物悲しい結末が、昭和の東京への郷愁をかき立てる一作である。
 
連載開始は1976年。東京でもまだ豆腐屋がラッパを鳴らしていたような時代だ。作者の秋本治は、昨年『週刊少年ジャンプ』での連載を終えるまで、40年間、一週も休むことなく両さんを描き続けた。
 
作者は、作品に常に時代性を取り入れてきた。下町のニューシンボル、東京スカイツリーが建つと、両さんはいち早く視察に出かける。「おばけ煙突」はここでも言及されており、東京の発展とその原動力となった下町の矜持を感じさせる。
 
そして、『こち亀』史を語る上で欠かせないのが、4年に1度、オリンピック・イヤーに眠りから覚める警察官、日暮熟睡男(ひぐらしねるお)である。実際の連載でも、夏季五輪の開催に合わせて登場しており、目覚めた直後に両さんと過去4年間の出来事を振り返るというのがお決まりの展開だ。読者は日暮の登場に不意を打たれながらも、「そういえば」と時の流れをしみじみと想う。40年続いた作品だからこその醍醐味だ。
 
両さんにとって、東京は巨大なタイムカプセルのようなものに違いない。西へ東へ駆け巡り、時折記憶を掘り起こしては、また新たな足跡を残していく。話し足りないことがあれば、思い出したように再び帰って来る気がしてならない。いや、その前に2020年、日暮が黙っているはずがないだろう。
(広瀬航太郎)