雑誌『美術手帖』編集長。1999年経済学部卒。2002年より『美術手帖』編集部に所属し、2008 年に編集長に就任。書籍・別冊に『大地の芸術祭 ガイドブック』(2006 年)、『瀬戸内国際芸術祭ガイドブック』(2010年)、『村上隆完全読本 1992-2012 美術手帖全記録』(2012 年)など。

美術雑誌と聞いたとき、皆さんはどのような印象を抱くだろうか。恐らく美術に関心のある人ならば、一度は手に取ったことがあるだろう。そんな美術雑誌の世界で異彩を放つ存在、それが『美術手帖』だ。『美術手帖』は60年以上の歴史を持ち、戦後の苦しい時代に、美術を通して人々を慰める存在として生まれ、現在は国内外のコンテンポラリーアートを扱う雑誌となった。多くの美術ファンを魅了してやまない『美術手帖』の編集長を務めるのが、岩渕貞哉氏だ。

「美術を前にすると、人々は年齢や地位、教養などすべてを忘れて、平等に関わることができる」。そう語る岩渕氏は、慶大経済学部時代の自分について「将来何をしたいのか、何が向いているのか、わからなかった」と振り返る。4年生の時、違和感を抱きながら一時は就職活動をしたものの途中で離脱。大阪の大学院大学へ進学した。これが人生の転機となった。もともと映画や小説、演劇などを嗜んでいた岩渕氏は大学院大学で美術を集中的に学び、修了し東京へ戻ったときには、編集の仕事をやりたいという決意が固まっていた。

 

「大切なのは焦らないこと」

しかし、卒業後の一年間は、何もせずに過ごした。「いざ東京へ戻っても、編集経験やコネがあるわけでもなく、自ら動くタイプでもなかった」。つらい時期だった。そんな中、現在の編集部へ就職し、2008年に編集長に就任。美術関係の仕事を志望する人がたくさんいる中で、「自分がこの職に就けていることが奇跡」だと語る。岩渕氏は「人それぞれ、自分がやりたいことが見つかる時期は違う。一旦それが見つかれば、最終的にはなんとかなる。大切なのは焦らないこと」だと強調する。

多くの取材を行ってきた岩渕氏が特に印象に残っているのは、キエフのアートコレクターの元を訪ねた時のことだという。キエフのあるウクライナはソ連崩壊後に出来た新しい国。ゆえに、明治維新の頃の日本と同じように、国づくりの真最中。そこで目の当たりにしたのは、芸術がその国のアイデンティティを作り上げていく瞬間だった。「日本では美術は単なる個人の愉しみだという意識が根強い。しかし、そのコレクターは現代美術のトップアーティストの作品を購入し一般公開することで、そこに含まれる最新のアイディアやコンセプトを国民に広め、近代化を促進させようと試みていた」

そんな岩渕氏の目標は「『美術手帖』の国際版を作り、世界一の美術雑誌にすること」。あたたかい人柄の中心には、アートにかける確かな情熱が秘められていた。

(長谷川礼奈)