「この本を読むにさいして、読者はたった一つのことを要求されるのである。それは、ものごとを常識ではなく、理性でもって判断することである。(中略)日本人が、千何百年もの間、信じ続けてきた法隆寺と太子像が、この本によって完全に崩壊する。」冒頭にはこう記されている。
聖徳太子といえば、一度に10人の話を聞き分けられるという伝説を持ち、聖人君子のように人柄が優れ、法隆寺を建立した人物。これが私たちの共通イメージではないだろうか。梅原氏はこの通説を根本的に破り、ある大胆な仮説を提出する。「法隆寺もまた後世の御霊神社や、天満宮と同じように、太子一族の虐殺者達によって建てられた鎮魂の寺ではないか」
梅原氏をこの仮説に導いたのは、『法隆寺資材帳』。ここには、「太子一族を虐殺した張本人の巨勢徳太という男が法隆寺に食封を下賜した」とある。日本では、古来より自ら殺した前代の支配者を神として手厚く葬り祭る習慣があった。太子一族の虐殺者も、太子らの怨霊と復讐を恐れ、怒りを鎮めるために法隆寺を築き、供物を捧げたのではないかと梅原氏は考え、自身の仮説を打ち立てた。本著で氏は仮説を支える考察を全八章に渡り詳しく述べている。
残念ながら、法隆寺が虐殺された聖徳太子の子孫の怨霊鎮魂のための寺である確実な証拠があるわけではない。しかし、梅原氏のように、一般的な共通認識を疑い、より確かなリアリティを見出そうとする姿勢を持つことは、とても重要ではないだろうか。「磁石が金属に向うからひっついてくるように、法隆寺にかんする多くの事実が向うから私の仮説のまわりにひっついてきたのである」氏は、彫刻や建築個別に専門家が調査する分業的な研究を、「中心を喪失した学問」と批判する。氏は、哲学者として法隆寺を綜合的に思惟し、綿密な調査と研究を重ねた。氏の真理の検証過程を辿るのは興味深い。本著から分かるのは、常識に注意深く接し、疑問を持つことで、豊かな着眼点と発想が生まれることだ。その時、もしかすると私たちは真理への鍵を手にしているのかもしれない。
(川井田慧美)