代表の秋山氏と研修に励む女性5人
代表の秋山氏と研修に励む女性5人
丁稚制度とは、弟子が親方の下で生活をしながら、その技と心を学ぶ職人育成のかたちだ。日本では江戸時代に最も盛んだったが、戦後の経済成長を経て、ほとんど廃れた。

横浜市都筑区に作業場を構える家具制作会社「秋山木工」はこの丁稚制度を現代にまで継承し、世界の注目を集めている。



「できる」職人より「できた」職人

創業者の秋山利輝氏が27歳で秋山木工を立ち上げたとき、日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。機械を使った大量生産、大量消費が当たり前になり、手工業は大きな転換期を迎えていた。

「これからは、技術はもちろん人間性を備えた職人が求められる」
気難しい職人では生き残れないと考えた彼は、自分が駆け出しの頃に経験した丁稚制度こそ未来の職人を育てるのに最も適した方法だと気が付いた。

秋山木工の丁稚制度

秋山木工では1年間の「丁稚見習い」と4年間の丁稚生活を経て、初めてひとりの職人として認められる。その間彼らは寮で集団生活を行うが、特に最初の1年は「男女ともに丸刈り」、「恋愛、携帯禁止」など厳しい環境に身を置くこととなる。起床は朝5時。町内ランニングから1日が始まり、すべての作業が終わるのは日付が変わる頃ということもある。
彼らはなぜ、あえてこの厳しい世界に飛び込んだのだろうか。職人を目指す女性にお話を伺った。

職歴4年の古賀裕子さんは東京理科大を中退して秋山木工の門を叩いた。
「自分自身の手でモノを作りたい」
建築学を専攻していた彼女には、どうしても捨てきれない思いがあった。
秋山木工を選んだのは、女性を積極的に採用しているから。まだまだ男性が多い職人の世界で女性を採ってくれるところは少ない。はじめは反対していた両親も、彼女の強い思いに負け、最後には背中を押してくれた。
今はやりたいことを一日中できることに、充実感を覚えているという。いつかは姉と一緒に、両親のために家をプレゼントすることが、今の目標だ。自分の選んだ道を応援してくれる親に恩返しするため、今日も修行に励む。

「大学への進学も考えたが、それはただ就職を先延ばしにすることのように思えた」
島根県の松江高専を辞めて「丁稚見習い」となった河原久美子さんはこう語る。周りに流されて進学や就職することに疑問を感じていた彼女にとって、秋山木工は本当にやりたかった「モノづくり」への近道だった。
毎日忙しい研修が続いているが、「昨日できなかったことが今日できるようになると嬉しい」と笑顔を見せる。

秋山木工のこれから 

現在、秋山木工は銀座に新しい工房を構えようとしている。見据えるのは2020年の東京オリンピック。都会の街中で、道行く多くの人々が職人、そして「モノづくり」に触れることのできる空間を目指している。中心となるのは古賀さんら女性7人だ。

「温故知新」

丁稚制度という、失われつつある伝統に目を向け、そこから人材育成のヒントを得た秋山木工。そこには自らを支えてくれる人々への感謝を胸に、ひたむきに今を生きる若者の姿があった。彼らが一人前の職人として、その技で、その人柄で人々を感動させる日は遠くないだろう。
一見古めかしく見えるものの中にこそ、未来を創造する力は隠されているのかもしれない。
(田島健志)