早大野球部OBの田中浩康選手が初めて早慶戦の打席に立ったのは、1年生の春だった。

「プレイボールの瞬間から、投手が一球投げるごとに大歓声。『この試合はどうなってしまうんだ』とものすごく不安になったのを覚えています」

それでも、試合を動かしたのは田中選手自身だった。慶大の先発・長田秀一郎投手(元DeNA)から先制打を放つなど、不安を微塵も感じさせないバッティングを披露。早慶戦デビューを勝利で飾った。

その春は開幕戦で1番に抜擢されると、ルーキーながら全試合で正二塁手の座を守り続けた。しかし、慶大との対戦を終え、湧き上がったのは「もっと練習しよう」との思いだったという。

「次も慶應に勝つ、という新たな目標を持たせてくれたのが、初めての早慶戦でした」

自身が「野球への取り組みの基本を学んだ」と心から慕う野村徹監督(当時)の言葉も強く響いた。「明日が早慶戦のつもりで練習しなさい」。冬場の地道な体力強化も、早慶戦を常に意識することで向き合い方が変わったという。

意識の変化は、やがて早大の快進撃へと繋がる。2年生のシーズンからは、それぞれ1年先輩の青木宣親(現ヤクルト)、鳥谷敬(現阪神)両選手らと上位打線を組み、破壊力抜群のチームを築き上げていった。

「青木さんも鳥谷さんも、結果で示す選手だった」と語る。「青木さんは今でこそ言葉で引っ張っていくタイプだが、それはWBCや大リーグを経験したことが影響しているのでは。当時は泥臭くプレーで見せる選手で、自分もその背中に負けじと食らいついていった」

大学球界を代表する選手たちの相乗効果もあり、2003年春のシーズンにはリーグ史上最高のチーム打率3割4分7厘を記録。秋の早慶戦を終えるまで破竹の13連勝で、早大は同校初の4連覇を達成した。

打順1番から6番までの6選手は後に全員プロ入りを果たし、うち4人は今も現役選手として活躍している

優勝を決めた試合は、4度のいずれも全て早慶戦だった。田中選手は毎年その舞台に立ち、リーグ戦の最終週に早慶戦が用意されていることに一つの意味を見出したという。

「早慶戦の舞台に立つために、リーグ戦に出続けるんだと言われているような気がした」

4年生ではキャプテンに指名され、1年生春からのフルイニング出場を継続した。ところが秋の開幕戦で手首に死球を受け、骨折と診断されてしまう。

「主将というポジションである以上、チームを引っ張らなきゃいけないし、弱いところは見せられない」。監督を説き伏せ、大学最後のシーズンを終えるまで全試合に出場した。

早大卒業後からプロ14年目の今に至るまで、大切にしている言葉がある。「エンジョイ・ベースボール」。慶大野球部が代々掲げてきた精神だ。

当時の慶大・鬼嶋一司監督にその言葉の意味を尋ねたことがあるという。返ってきた答えは、「勝利という共通目標に向かって、チームが一つになって戦うこと」。それを聞き、目から鱗が落ちる思いを覚えた。

「日本語の『楽しむ』という表現は誤解されやすい。苦しいこと、うまくいかないことはプロになってからもたくさんあるけれど、目標を達成した時の喜びは格別。それをひっくるめたのが『エンジョイ』という言葉だと思うんです」

横浜DeNAベイスターズでは1軍に帯同する今も、六大学リーグの試合を気にかけて見ている。「36回目の優勝、おめでとうございます。慶應は強いですよね」と笑いながらも、「母校にも意地を見せてほしいです」と言葉に力を込める。「早慶戦を戦うメンバーに入るだけでも大変なこと。その勝負を勝ち抜いたベンチ入り選手全員に注目しています」

「早慶戦に勝つ」ことは、早慶野球部の共通目標だ。慶大に勝つための練習によって早大が黄金期を築いたように、早大というライバルの存在が今の慶大の強さを支えている。今週末、神宮球場には野球を心から「エンジョイ」する選手の姿があるだろう。

 

(広瀬航太郎)


田中浩康(たなか・ひろやす)

1982年5月24日生まれ、36歳。香川・尽誠学園高在学時は、2年連続で夏の甲子園に出場。早大に入学後は1年生春から二塁スタメンに抜擢され、卒業まで六大学リーグ全試合に出場。3年生秋には自己最高の打率3割6分6厘をマークし、4連覇に貢献した。

2004年、ヤクルトスワローズ(当時)に自由獲得枠で入団。以降ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞1度受賞。昨季、12年間在籍したヤクルトを離れ、横浜DeNAベイスターズへ移籍。新天地でプロ通算1000本安打と史上6人目の300犠打を達成した。





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