専業主婦から、何の知識もなく50歳で会社設立。65歳のときに女子大生に――稲川素子さんは、実現できるとは思えないようなことをいくつも成し遂げてきた。

稲川さんは50歳のとき、外国人を専門とする芸能事務所を立ち上げた。きっかけはピアニストである娘、佳奈子さんのドラマ出演の付き添い。撮影現場では、演技のできるフランス人を探していた。スタッフに頼まれ、知人を紹介するつもりで彼女は依頼を受けるが、紹介する予定だったフランス人はとっくに帰国していた。

「一度引き受けたことだから、断るわけにはいかない。絶対に代理の人を探そうと思った」

やっとのことで見つけたフランス人の演技の評判は、思いのほか良かった。

「稲川さんに頼めば、いい外国人が紹介してもらえる」。噂は瞬く間に広まり、外国人紹介の依頼が急増。周りに流される形で、経営に関して何の経験もない彼女が会社の設立へと向かう。




設立当時、所属タレントは1人もいなかったという。しかし仕事の依頼は殺到する。稲川さんは、自分で外国人をスカウトに行くしかなかった。

「信頼を失うわけにもいかないし、実績が何よりも大事な世界。外国人がよく出入りしていたディスコのお立ち台に上がって、踊るふりをしながら適当な人を探していた」と当時の苦労を語る。

適材適所、医者役だったら医者、学者役なら学者に見える人をスカウトした。エキストラ1人にさえ妥協はしない。

「『人の顔は履歴書』と私は考えている。教授役の人を探していて、本物の教授に声をかけてしまったこともあるくらい」。彼女の人を見る目に狂いはない。

今でこそパワフルな彼女だが、戦後の食糧難もあり、幼い頃はかなりの虚弱体質だった。入退院を繰り返していたため、大学は中退せざるを得なかった。

周囲のスタッフが成長し、多少仕事に余裕がでた65歳のとき慶大文学部に再入学。ドイツ文学を専攻し、70歳で卒業した。現在は国際社会科学を学ぶ東大の大学院生である。

慶大での思い出を聞くと、あるエピソードを語ってくれた。卒業論文指導が受けられるか決まる大事な試験の前日。仕事上のトラブルで社長としての後始末に追われた。自宅に戻ったのは深夜12時。勉強しなければならないのに強烈な眠気が彼女を襲う。
「ほとんど勉強ができていなかったから必死だった。台所に飛び込んで朝鮮人参と栄養剤を大量に摂取した」

薬の効果もあってか、夢中になって勉強をした。ふと気が付くと時計は9時を示している。「試験は9時半から。タクシーに飛び乗って試験会場に入ったときには、もう答案用紙が配られていた。危機一髪。何とか合格できた」と忙しかった当時を振り返る。




社長と学生の二足のわらじを両立している彼女。何が彼女を駆り立てているのか。

「一度信じた道は決して諦めない、迷わない」。信念が彼女を突き動かしている。

「若さだけはどうしても取り戻すことはできない。若者がうらやましい」と本人は語るが、彼女の全身から若さに勝るパワーを感じた。74歳という年齢を全く感じさせない稲川さん。彼女の力強さこそ、若い私たちが見習わなければならないものだろう。

(亀谷梨絵)

1934年1月生まれ。50歳のときに外国人専門の芸能事務所、稲川素子事務所を設立。70歳のとき慶應義塾大学文学部を卒業。現在、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程在学中。日本アカデミー賞協会会員、社団法人日本ペンクラブ会員など様々な顔をもつ。