塾生新聞は創立時から45年に渡って、新聞を発行し続けてきた。45年もの月日の間に、新聞以外のメディアが台頭し、新聞を取り巻く状況は刻々と変化してきたといえる。また、近年では若者の活字離れやインターネットの発達によって、新聞というメディアそのものが転換期を迎えている。 創刊500号というこの機会に、さまざまな立場から新聞の特徴や今後進むべき道を見つめてみたい。
(寺内壮・長屋文太・藤浦理緒・榊原里帆・成田沙季)


 

 

◆朝日新聞 ゼネラルマネージャー兼東京報道局長 市川速水氏

 

 

朝日 圧縮

デジタルと紙は両輪

日本語を使って考える人たちが減っていくと、日本語で勝負していたメディアが読者を増やすことは難しくなる。多メディア化によって誰でも情報を発信できる時代というのも絡み、部数は必然的に落ちていくだろう。ただ幸いなことに、私たちには700万以上の部数がある。少なくともこれだけの読者に支えられている点でどこよりも恵まれていると思っている。

しかし遠い将来、紙の新聞を発行していくかはわからない。CDが出て、MDが出て、今はそれも主流ではなくなった時代だ。カメラのフィルムのように突然なくなるものもたくさんある。紙も突然なくなる媒体かもしれない。しかし新聞は、見た目は紙の商品でも売っているのは情報だ。紙の新聞がなくなってもジャーナリズムは消えない。だから今は紙がなくなった時のための準備をしている。新聞を読まないとされる20代、30代が紙の新聞を読んでいるかではなく、私たちの発信する情報を読んでくれているかだ。

デジタルは5年前までは紙の付属品だった。しかし3年前からはライバルになり、今は両輪。社内でも情報はまずデジタルという考えがあり、私たちはデジタルファーストと呼んでいる。今では紙の新聞の編集とデジタルも明確に分けている。紙の新聞に載るのは世の中の出来事の一部だったが、デジタルでは紙に載らなかったコンテンツも載せることができる。読者が読みたいと思うものを発信するには絶好のツールだと考えている。

5月からやっている吉田調書は紙面の一面トップと同時にデジタルでも大きく始めた。ソチ五輪の時に浅田真央を取り上げたデジタルの『ラストダンス』で用いた技術を、吉田調書で応用している。昔と違って、今ではデジタルへの人とエネルギーのかけ方は先頭を走っている。それと同じく先頭を走るのは調査報道だ。それをデジタルで全く別の見せ方をする。吉田調書の展開は数年来の目的の一つを果たしたと思っている。

紙がなくなる最悪の事態でどう生き残るか。ブランドや、習慣でお金を出してくれる読者に甘えてはいけない。記者は文字通りの意味では書く人だが、発信者だ。発信力と、あらゆる場面で結果を出すサバイバル力を合わせたものが記者力だと考えている。この2つの力こそジャーナリズムが持続可能性をもって生き残り続けていくための条件だろう。多メディア化、消費増税、山はいっぱいある。それを一つ生き残ったからといって喜んではいけない。仮に朝日新聞が無くなっても記者力があるから大丈夫、と言える記者を一人でも増やしたい。そういう個々の力を持った集合体として新聞社はあるべきではないか。


 

 

◆日本経済新聞 執行役員東京本社 編集局長補佐  平田喜裕氏

 

 

日経 圧縮

アジアのリーディング・メディアへ

日経では電子版の読者が順調に増えている。しかし、だからといって紙の新聞から電子版に将来完全に移行することはない。そもそも、紙の部数と電子版の会員数を合わせれば、日経の読者数は減っていない。電子版で無料閲覧できる記事の読者を加えれば、その数はむしろ大幅に増えていると言える。

世間の流れはゆっくりと電子版に移行している。しかし年配者層は紙の新聞を読むことが習慣化している。供給側としての新聞社にも新聞を配達するためのネットワークがある。時代が電子化だというだけで、完全に移行することはできないと考えている。

今の若者が年配になった将来も、紙の新聞がゼロになることは想定していない。日経は紙か電子版かを選択するのではなく、両方を読者に勧めている。リアルタイムでマーケットや株価の情報を流すことができるという速報性が電子版にはあるし、紙はニュースの解説・分析に力を入れている。基本的な紙と電子版の棲み分けはこの点にあるだろう。また電子版の読者にはITに関心のある人が多い。電子版にはあえてそういった人を意識してIT、テクノロジー関連の情報を多く掲載している。紙、電子、電波、出版とそれぞれのメディアに最適な形の情報を流すということが必要だ。こういった複合メディア路線を日経は重視している。

情報があふれる時代で価値が保てるのは、やはり経済のニュースだ。政治や社会のニュースは多くのメディアが流しているが、経済のニュースは限定的だ。経済紙としての日経がそういった専門性あるコンテンツを発信していく点にこれからも変わりはない。電子版の成功はその専門性と相性が良かったからであり、お金と人をかけて丁寧に作り上げてきたからだ。紙と同じ内容のものを後から掲載するだけでなく、手間暇をかけて独自のコンテンツにボリュームを持たせた点が良かったのだろう。

日本のメディアの成長にはグローバル化が必要だと考えている。世界で評価が高いのは、英国の経済紙であるフィナンシャル・タイムズのようなグローバル・メディアだ。新聞社の更なる成長には日本に留まらず、アジアや新興国に進出していくことが求められていると思う。日経はアジアの「リーディング・メディア」を目指して、バンコクにアジア編集総局、シンガポールにアジアグループ本社を設立し活動の拠点を広げている。そしてアジア経済を主に扱う英文媒体「Nikkei Asian Review」は電子版と紙を組み合わせた新媒体として昨年11月から世界に向けて発信している。日経はグローバル・メディア、そして複合メディアという2大看板を掲げてさらなる発展を目指している。





 

 

◆毎日新聞 東京本社 編集編成局長 小川一氏

 

 

毎日 圧縮

一本一本の記事で勝負

新聞を取り巻く状況は劇的に変わった。現在、日本の朝刊発行部数は約4700万部である。だがこの10年で510万部減り、1年間でも77万部減った。原因はネットの普及だ。これまで紙にパッケージして有料で提供してきた情報がバラバラになり無料で入手できるようになった。若者のネット利用時間も長くなった。

現在は紙媒体の新聞が売上の7割を占めているが、このままでは厳しい。ネットでのビジネスモデルを5年から10年の間に作りたいと考えている。今は個々の記事がバラバラになって流通する時代だ。そのため、いい記事を提供すれば有料でも読んでくれるだろう。紙の新聞より収益性が高くなる可能性もある。

例えば津田大介氏のメールマガジンは何千人に有料で読まれている。一人でもできるのだから、約1600人の記者を有する毎日新聞にできないはずがない。津田氏のように有料でも読みたいと思わせられるジャーナリストを育てていく必要がある。調査報道はプロの手によらなければできないことだろう。読者の知る権利に応えることが新聞を購読することへの対価になるのではないか。

紙の部数が発信力だった時代と比べ、毎日新聞にとっていい時代がやってきた。紙媒体のみで埋められなかった発信力の差をウェブや電波と組み合わせれば埋められる。地方紙の記事がウェブやテレビで注目されることもある。毎日新聞はユニークな記者がたくさんおり、好機だと言える。

情報の表現方法がウェブと紙面では違う。ネットにはリアルタイム性やアーカイブ性がある。情報にデータを加え、立体的な図を使って視覚的に訴えることもできる。会見を動画で中継し、同時進行で読者から質問を募る試みもある。

紙媒体としての新聞がなくなることは絶対にない。いずれ部数は下げ止まるだろうし、早く下げ止まるように努力していく。紙面は一覧性や価値基準の判断ができる点で優れている。ITジャーナリストも毎日必ず新聞に目を通すそうだ。将来的にはコミュニティごとに新聞をシェアをすることも考えられるだろう。

これだけネットが発展した状況は新聞の価値が見直されるチャンスだ。情報洪水の中では正しい情報の価値基準が必要になる。ネットと読み比べれば、新聞の情報の信頼性が不可欠であることがわかるからだ。

新聞にしかできないことを作り出さなくてはならない。誰もがSNSで情報を発信できる時代だが、プロの記者にインタビューをされることで考えがまとまり、胸のうちを明かすことができる人もいるだろう。そのようなことを充実させれば新聞はもっと評価されるのではないか。


 

 

◆産経新聞 東京本社 編集局長 小林毅氏

 

 

産経 圧縮

 

見直される紙の視覚性

新聞がメディアの中心にあったとき、その武器は「特ダネ」だった。ニュースとは事件の発生を伝えることだが、速報性という点ではテレビにかなわない。新聞にとっての速報性とは何か。それは誰も知らないことをいち早く伝えることであり、それこそが特ダネだ。

ネットの登場で新聞の速報性はますます低下した。逆説的ではあるが、速報性のあるメディアが普及したことで、特ダネは新聞にとってさらに重要な意味を持った。調査報道とも呼ばれるが、どこも取り上げないニュースを報じて事実を明らかにすることである。

新聞、テレビ、ネットの3つの媒体が速報性を1分1秒の差で争う中ではウェブファーストが大きな意味を持つ。特ダネを紙面ではなく、ウェブに先に載せることだ。

だが大きな事件でもネットニュースに表示される見出しはたった1行だ。大きく横見出しを使って紙面全面に特ダネを載せることと比べれば、インパクトがあるのはどちらか明らかだ。

視覚に訴える力がある限り新聞はなくならないだろう。産経新聞では東日本大震災を見開きで地図やイラストを使って取り上げた。スペースを思い切って活かしたレイアウトはほかのどの媒体よりもインパクトを与える。紙面を見開きにしたときの大きさはパソコンの画面よりはるかに大きい。新聞の売りだった豊富な情報量と一覧性を逆手にとり、紙面の大きさを活用することに新聞の新たな可能性がある。

産経新聞はネット上でのニュース配信や、アプリによる電子新聞の公開を無料で行う。有料化への模索はしているが、その一方でニュースサイトの普及を進める必要もあり、難しいところだ。

読む側が有料の情報と無料の情報の価値の差を見極め、ウェブ上においても、お金を払って読んでくれるか。無料の情報の価値は知れている。特に若い人には情報の価値を改めて認識してほしい。新聞は有料である以上、信頼性や論説の確かさに常に磨きをかけている。それが評価され続けることが社会としても健全なのではないか。

個人的な意見では、紙の媒体がしっかりしなくてはいけない。海外でも紙面発行をやめネットに切り替えた新聞社があるが、経営はうまくいっていない。経営の規模に合わせて記者の数を減らしているのが現状で、代わりに市民記者を使うところもある。そうすることはそのメディアへの信頼性を低下させることにつながるだろう。

100年以上かけて培ってきた信頼性は新聞の武器である。多様なメディアがある中でも、活字が持つ読者への訴求力を新聞はこれからも信じなくてはいけない。

 





◆東京新聞 編集局 局次長 松川貴氏

デジタルを特別視しない

新聞やテレビ、インターネットといったメディアは人々に情報を得る場を提供する役割を果たす。中でも新聞は読者に能動的な情報の選択を求めるという特徴を持っている。テレビを見る時、私達はただ画面を見つめ、流れてくる情報を受動的に得がちだが、新聞は情報を得たいと思った読者が手に取るメディアだ。また、背景知識や解釈まで含めた質の高く、奥行きのある情報を提供する。

新聞は政策方針や事件の概要などを単に活字に直して報道しているだけだと批判されることがあるが、東京新聞ではジャーナリズム精神を重視し、問題意識や批判精神を持った報道を行っている。政権を見張る報道を行い、ジャーナリズム精神を失わないのが報道を行う側から見た新聞の強みであり、その役割だ。

東京新聞には、ほかの新聞社にない特別報道部(特報部)があり、46年の歴史を持つ。特報部は、政治部、経済部、社会部といった旧来の枠を超えて、ひとつの話題を多面的な視点で斬り、キャンペーン的に記事を展開することもある。

このような報道の仕方は、時には政治部とか社会部の見方や分析と齟齬をきたすこともあるが、多様な視点を読者に提供することも新聞の重要な役割である。

また発行地域が東京都と周辺7県に限られることで地域密着型のニュースを提供しやすい。ブロック紙は全国紙と比較して販売地域が狭く、不利だと考えられがちだが、逆に効率の良い情報提供や販売体制が組める。

インターネットの発達によって紙媒体の新聞は確かに危機にさらされている。しかし今後、紙媒体の新聞が消えてしまうということはないだろう。インターネットでニュースを知ることはできるが、分析が行われた詳しい情報を提供するのは新聞だけだからだ。情報が散乱するインターネット社会においてこそ、私達がジャーナリズム精神を重視した新聞を作っていく必要がある。

東京新聞では現在TOKYO Webというホームページ上でニュースの発信を行っている。大変便利なサービスではあるが、利用者はページ上に羅列されたニュースの中で関心のある部分や自分に必要な情報だけしか見ない傾向にある。受け手が知りたがることだけではなく、伝えるべきことを伝えることが使命である新聞がメディアとして生き残っていくためには、やはり従来の紙媒体の新聞を重視する必要があるのではないか。

電子版の展開は現段階では行っていないが、この8月以降の展開を予定している。通常の紙面をPDF化したもので、内容は全く同じだが、東京新聞が全国で読めるようになる。電子版を特別視するようなことはなく、従来の紙媒体の新聞と同じように捉えていく。


 

 

◆THE WALL STREET JOURNAL ジャパンリアルタイムリポーター 本郷淳氏

 

 

WSJ 圧縮

最終的には情報の質

2000年より前からデジタル化は予見されていた。対応していかなくてはいけないが、どう対応するのかはまだ答えが出ていない。例えば日経や朝日はデジタル版を有料にした。そういう意味でニュースの提供の仕方は変わっているが、まだメディアの最終的な形にはなっていないと思う。

少し前までWSJは紙面に写真もなく、読みたい人が読めばよいという姿勢だった。しかし、ウェブではビジュアルを重視しなくてはいけない。写真と記事を無造作におくだけでなく、動画やインフォグラフィックなどを使って見せ方を工夫する必要がある。現状、新聞社より2ちゃんねるのまとめサイトなどのヒット数が断然多い。記事の見せ方、選び方、レイアウトなどはそこからも学べるだろう。

記者も昔はただ記事を書いていれば良かった。しかし今では写真や動画の撮影、簡単なレイアウト、ニュースを発信して記事を書きましたとツイッターやフェイスブックで宣伝する。昔に比べるとやらなくてはいけないことの幅は広がった。

先日、デジタル化についての会議で一人の記者から、「ウェブ上で写真や動画を並べたかっこいいレイアウトを組み、紙面と同じ内容をより視覚的に理解できるようにするなら記事を書く必要はないのではないか。新聞を買う人はいなくなるのではないか」という意見が出た。しかし、だからといってウェブを白黒でやれば新聞の部数が維持されるものでもない。

完全にデジタル版に移行するというやり方もある。例えばニューズウィークもデジタル版に完全に移行した。紙の発行を辞めても収入の落ちない会社はそうやっていくのだろう。アジア支局長とも話したが、新聞が急に復活する理由は全くない。売上げの減少が横ばいにはなっても増えることはないとみんな理解している。

しかし、まだ新聞広告は収入のかなりの割合を占めているし、広告主もウェブより新聞に広告を出稿することに価値を感じている。WSJに限れば、他紙と比べると売上げの落ちるペースは遅い。経済紙なのもあって広告を出したいという企業も多い。紙の売上げの減少を平らにしつつ、オンラインの有料会員など、より多くの収入源を確保する。ウェブか新聞かどちらかではなく両方やっていくのが現状だろう。

最終的にはウェブか新聞ではなく情報の質の問題になってくる。各個人がツイッターやブログで情報を発信できるようになったからこそ、事実をチェックして本当のことを伝えるという新聞社の役割はより重大性を増している。ただ、「WSJだ」とお高く構えず、読者のさまざまな興味を取り込んで楽しめる記事を作っていかないといけない。


 




◆慶應義塾大学 法学部長 大石裕氏

 

 

大石教授 圧縮

新聞のもつ資料としての役割

一般の人々にとって新聞とは必要な情報を得る手段であり、それは新聞の一読者である私にとっても変わりはない。しかし私のようにジャーナリズムを研究する者にとって新聞は研究の材料でもある。実際に起きた出来事がどう編集され、ニュースとして生産されるのか。そこを追うことがジャーナリズム研究の根幹だ。過去にどのような出来事が起こり、それがどのように報じられたか調べるための歴史的な資料としての役割も新聞は持っていると考える。

日本のジャーナリズムパターン化の改善

ジャーナリズム研究をしていて感じるのは日本のマスコミは読者や視聴者が求めている情報を流しがちだということだ。ニュースのパターン化が進んでしまっている。これはマスコミ側だけに責任があるのではない。私達、受け手もニュースに対してパターン化された反応しか取らなくなっている。受け手の決まりきった反応は記者に刷り込まれ、記者にパターン化された報道を知らず知らずの内に行わせているのだろう。これはジャーナリズムの観点からいえば改善していく必要がある。ただし、この関係を変えていくのは難しいというのが現状だ。

新聞業界の今後 他メディアとの連携も

現在のインターネット社会において新聞は確実に転換期を迎えている。速報性という観点で新聞がインターネットに及ばないのは明らかだ。余力がある今の段階で、速めに策を打つことが必要だろう。幸い海外での新聞需要の落ち込みと比較すれば日本の新聞業界は一定の購読層や市場を確保できている。記者の数も多く、複数の情報源にあたった質の高い取材と報道が行われていると言えるだろう。ただ今後、新聞市場が縮小し続け、新聞そのものが衰退してしまうことがあれば、それは社会的な問題となる。

新聞のように報道の自由を大きく掲げた活字メディアは他になく、新聞の衰退はジャーナリズム機能自体の衰退にもつながる。新聞というメディアが無くなるようなことがあってはならない。将来、新聞が単独で生き残ることが難しければ、他メディアとの連携をとるなど大きな転換や切り替えも求められるのかもしれない。

学生新聞の今後

塾生新聞のような学生新聞には誰に向けて発信しているのかを常に念頭に置いてほしい。学生新聞とはいえ、新聞というメディアである以上、そこは考えを表明する場である。発行する側の自己満足ではなく、時事問題を取り上げるなどし、何かを学生や社会に訴えるような記事を掲載することを期待している。


◆THOMSON REUTERS

ニュースエディター兼コラムニスト 田巻一彦氏
サブエディター 田中志保氏
オンライン担当エディター 野村宏之氏

何が本当にニュースか

20年ほど前は新聞を取るのが当たり前という感じだった。今では強固な販売網をもつ全国紙でも、取るのをやめる人が出て減少傾向が顕著に現れている。確かにネットの方が早く、朝まで待たなくても読める。ただ、ネットは利益の出し方に問題があるので、事業形態がうまく行かない限り今のマスコミを取り巻く状況はかなり厳しい。

インターネットを使えば多くのニュースに今はアクセスできる。どの情報が一番真実に近いのか一般の人が読むだけでは区別がつかなくなっている。そこで専門性が高くプロとアマチュアの差が歴然としているコンテンツを提供できるか。「ここにアクセスすると本当のことがわかる」と思えるかがすごく大事になってくる。例えば、日本のニュースを見るときソースまで確認する人は少ない。いろいろな記事を無差別に読んでいると何を信用していいかわからなくなる。結局、ネットで読んだものを確認するために何か信頼のおけるものを読むことになる。そして、選ばないとニュースが読めないということは逆に自分が見たかったニュースを見逃すことにもつながる。紙面であれば重要なニュースは一目瞭然だ。

結論がでないのは、全てが将来、デジタルに代わるのかということだ。紙には欠点もあるが一覧性、重要なニュースがわかるという意味で利点がある。主流になるのはデジタルかもしれないが、細々としながらも紙は残るのではないか。

ロイターのニュースのほとんどもウェブで見られる。ただ、朝日もウォール・ストリート・ジャーナルもブルームバーグも日経も無料の分はどんどん狭くなって有料化している。ロイターの社内でも無料じゃまずいという話は出てきているので、いずれ有料化される部分が出てくる可能性はあると思う。

ただ、今は過渡期なのでどうやったら収益化できるかは、どのメディアにもわからない。買収されることもある。ロイターもトムソンに買収されてトムソン・ロイターになった。ニューヨーク・タイムズも中国人企業家に買収されそうになった。日本にはさらに人口減少という問題がある。世帯数が減るので普通にしていると先細りになってしまう。その中でデジタル化が進んでいるのは四面楚歌のような状況だ。

通信社だから言えることなのかもしれないが、理想を言えば、これから既存メディアに求められるのは視聴率や部数などを考えずに何が本当にニュースなのかを考えて伝えることだろう。インターネットの網目のような視点はある意味、神の視点のようなものだ。これから発展していく中でメディアがどういうポジショニングをするのか考えなくてはいけない。





◆株式会社クリエイティブ・リンク 代表取締役社長 AFP通信 Vice President 實方克幸氏

 

 

新しいビジネスモデル必要

マスメディアを取り囲む状況は世界でも日本と同じだ。ニューヨークタイムズから「イノベーションリポート」という記事が出た。その記事に対してトーマス・バクダル氏が「一つ一つの記事に価値はないが全部集まると価値がある」、「ニュースペーパーはジャーナリズムのスーパーマーケット」という興味深い考察をしている。彼の言葉を借りると、通信社は事実をメディアに売る漁師や魚市場のようなものだ。

確かに新聞にはスーパーマーケットのように1か所で情報をそろえられるという利点がある。ニュースの選別者として新聞という形は残るだろう。ただ、それが今のように紙媒体とは限らない。特にニッチな情報を扱うような新聞はディープでリアルタイムな情報が欲しいので、検索性などを考えるとデジタルになっていくと思う。

紙からデジタルへの移行が簡単に進まないのは紙の新聞を読む人が多いからだ。日本の新聞は家に配達する点で世界でも珍しい。読売新聞や朝日新聞ではものすごい数の新聞が毎日配達される。このリーチ数をネットで達成するのは大変だ。

インターネットの登場でメディアはまた新しいステージに入った。多くの人が情報を発信できるので、すべてのことが可視化される時代になった。しかし、ジャーナリストが書いたものを扱う全体的なルールがわからなくなっている。我々の書いた記事を誰かが書き直し、インターネットで流すという事態が起きており、信頼できる情報が求められている。クレジットがはっきりしたもの、ブランドが大切になってくる。

世界中のジャーナリストがこれからどうするかを考えているが、マスメディアがビジネスを続けられるかが問題だと考えている。放っておけば世帯数が減るので新聞の発行部数は減っていく。マスメディアがビジネスとして成り立ち、ジャーナリストが給料をもらえて幸せになれる。そういうビジネスモデルを今後作れるかが重要だ。

新聞社の中には、本社ビルの賃貸で収入を得ているところもある。しかし、通信社は不動産業をするわけにはいかない。世界で起きていることをしっかり伝えていくという社会的使命がある。「何が起こっているか」ということだけを伝えることは大切だ。しかしメディアが減ると、ニュースを売って収入を得ている通信社にとっては厳しい。ウェブコンテンツの拡充など、自分たちでさまざまなことをしていかなければならない。大きな通信社はAP、AFP、ロイターと世界に3社しかない。昔は一つの国に一つ通信社があるのが当たり前だったがその時代はいま崩れてきている。


 

◆TBSラジオ&コミュニケーションズ 取締役 伊藤友治氏

 

 

 

慶大のメディア・コミュニケーション研究所の講師も務める伊藤氏
慶大のメディア・コミュニケーション研究所の講師も務める伊藤氏

 

新聞は一次報道に力を

情報を的確に 新聞の優位性

メディアを語る時、伝達媒体としてなのか、伝達する中身なのか分けて考える必要がある。伝達媒体としての新聞は技術的な面で他のメディアから遅れをとっていると言えるだろう。だが、伝えている中身(コンテンツ=記事)という観点から見ると、やはり優越性がある。

確かに紙媒体である新聞に対して、速報性や臨場感、読者の利便性に関してはテレビやインターネットの方が勝っている。しかし、インターネットでは個々のニュース記事の価値や社会的な位置付けが伝わらない。テレビは新聞に比べて二次的な情報に頼り過ぎ、「隠れているもの」あるいは「隠されているもの」を発掘してそれを一次情報として伝えるという点で、やや後塵を拝しているというのが私の見立てである。国民の知る権利に十分に応えるために、もっと一次報道に力を注ぐべきだと考える。

また、テレビは映像メディアであるがゆえに、どうしても映像や音声の有無がニュースに取り上げるべきか否か、大きく扱うべきか、そうでないかの基準になってしまう。その結果、大切なニュースであっても、映像がない、音声がないという理由でボツになったり、小さな扱いになったりしてしまいがちだ。新聞は記事によって紙面上の扱いが変わるので、それぞれの記事の情報価値や位置付けなどが一目瞭然だ。たとえ、1段のベタ記事でも、紙面に載ることで読者に情報を確実に伝えることができる。そういう意味で、新聞というメディアはまだまだ優位性を保っている。

信頼を得られるメディアに

ただ、これからは新聞と他のメディアという構図から離れてマスメディアそのもの在り方を検証する必要があると思う。

最近は国民のマスメディアに対する不信感が高まっている。これは私たちの非常に重大な反省点でもある。国民の信頼を取り戻すために、メディアの側が、もっと謙虚に、より自省的な態度で国民に向き合わなければならないと思う。新聞に関して言えば、報道機関として機能すること、そして、それと同時に言論機関としての主張やイデオロギーに固執し過ぎることなく、様々な考え方や見方、特に反対意見や少数意見などを幅広く提示していくことだ。それが信頼を取り戻す第一歩になるだろう。

学生新聞の今後

慶應塾生新聞に関して言えば、伝統のある読者数も充実した立派な「メディア」だと考えている。多くの塾生、塾員が慶應義塾の近況を知ろうとして読んでいる。この期待に応えるため慶應塾生新聞は慶應について最も詳しい情報を提供し得る新聞であるべきだ。記録性を重視する一方で、価値のある、塾生新聞でしか入手できない情報を積極的に届ける努力をしてほしい。

情報の価値とは、一般に共有されていないこと、新しいこと、有用であることだと私は思う。そして取材の労が多いほど真実に近付くことができる。労を惜しまず取材に取り組んでほしいと願っている。