1970年、慶應義塾大学文学部卒業後、資生堂に入社。経営企画部課長、マーケティング本部化粧品企画部長、国際事業本部アジアパシフィック本部長を経て、2003年6月に取締役執行役員経営企画室長。2005年に第13代社長に就任。

 「uno」や「TSUBAKI」。誰もが耳にしたことのあるブランドを構築したのは、株式会社資生堂代表取締役執行役員社長・前田新造氏。1970年に慶大文学部を卒業した塾員である。新年度を迎えるに際し、塾生時代の思い出から仕事への姿勢、新入生・塾生へのメッセージを伺った。 
  *   *   *
 ジャズオーケストラ部KMPニューサウンドオーケストラに所属し、トロンボーンを担当していた前田氏。4年間その活動一色だったという。「体育会系のノリ。合宿では朝のラジオ体操、筋トレの後、夜までひたすら練習だった」。三田祭での演奏、TBSラジオのコンテストへの出場など、数々の思い出が残っているようだ。西へ東へと回った演奏旅行は、大きな楽器を運ばされるなど上下関係の厳しさを痛感しつつも、鈍行列車で日本を何周もする刺激的なものだったと話す。
 映画鑑賞が趣味でもあり、好きだった授業は映画演劇論。「本当に面白かった。試験も簡単で、大好きな授業だった」と振り返る。
「塾生時代の特技は一夜漬け、嫌いなものは追試」と笑うように、こんなエピソードまでもっている。渋谷で乗り換えをするたび映画看板が目に入り、度々誘惑に負けていた前田氏。おかげで出席が足りず、英語の単位を落とす危機に陥ったこともあったという。「90点以上とらないといけなかった期末試験前日に高熱を出してしまったので、布団の中でお酒を飲みながら山を張って勉強しました」。張った山は的中し、無事に進級できたそうだ。
 就職について考えていた当時、学生運動が盛んだったことを受け「花形のマスコミではなく、平和的な仕事に就きたい」との思いに至った。法・経・商学部生であることを条件としている企業が多い中、「学部問わず」であったこともあいまって、資生堂に入社。ものをつくり、価値をつくりだす魅力にとりつかれた。
  *   *   *
 前田氏の座右の銘は「至誠天に通ず」。人をきれいにする使命をもっているからこそ、一生懸命誠意を尽くすことを心がけたいという。
 「少子化が進行することで、未来の働き手が少なくなる。社会に生かされている会社として、社員それぞれの生き方に適応した制度を設けることは必須」。こうした前田氏の真心からくる考えは就活生にも伝わり、資生堂は毎年人気企業の常連である。
 新入生へのメッセージとして「暇があったら本を読んでほしい。そして、友人を大切にしてほしい」と話す。「自分と違う価値観、違う文化に触れ、認めることを大切にしてもらいたい」
  *   *   *
 今年で138年の歴史をもつ資生堂。「将来的には日本をオリジンとし、アジアを代表するグローバルプレイヤーとなることをめざしたい」と展望を語る。
 人に元気や勇気を与える「化粧の力」。老人ホーム等の施設を回るなど、「力」を伝道する取り組みも行っている。前田氏はそのパワーをもって、老若男女問わず、一人ひとりにどれだけ美しく輝いてもらえるか、模索し続けている。
                                                   (入澤綾子)