駆け抜けた4年間

山田が走る、走る。「山田は若林を超えたか?」

新年2日。快晴の国立競技場で行われた、第44回全国大学選手権準決勝、慶應義塾大学対明治大学戦。筆者の右隣に座った「慶應ファン」と思しき中年の男性は、グラウンドを所狭しと疾走するWTB山田章仁=写真中央、湯浅寛撮影=に、慶應が生んだかつての名ウイング、若林俊康氏の姿を重ねた。カップに入った日本酒片手に、口元は若干おぼつかない様子ではあったのだが。

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4年前。大学入学後、新聞サークルに入部。何の因果か、初めて与えられた正規の仕事が、慶應蹴球部、こちらも入部間もない山田章仁の試合後ぶら下がり取材だった。

1年生ながら、主にSO(スタンドオフ)のポジションでスタメン起用。筆者、当時全くの「ラグビー門外漢」ながら、彼の凄さは手に取るように分かった。

「慶應蹴球部の試合を見に来た観客が、ラグビーを好きになってくれるような、魅せるプレーを心がけています」「自分の力で慶應蹴球部の成績を上げたい」

言っておくが、これらの発言、決して当時の主将のものではない。山田章仁19歳、弊紙最初のインタビューでの一幕である。
2年秋。半年の豪州ラグビー留学を終え帰国した彼は、少し、いやかなり大人びて見えた。幾分伸びた髪のせいか。違う。体のサイズだ。「肉付き」が留学前と明らかに変わっている。何かを掴んだ、自信に満ち溢れた表情で取材に応じる彼を見て、豪州での日々を思った。

時は過ぎ、3年秋。関東大学対抗戦、早稲田大学戦の前半に見せた驚愕のトライが、個人的には山田のベストトライだ。 早稲田ゴール前中央付近でボールを受ける。眼前の相手数人を嘲笑うかのように、鋭く体を捩(ねじ)りながら、大きく外へ膨らみ、そして相手インゴール隅に飛び込んだ。彼の体幹の強さが際立った瞬間であった。

遂に最終学年。関東大学対抗戦初戦、筑波大学に5―32で完敗。試合後、久々に彼と向き合って直接話をした。
「今年は、絶対に対抗戦、大学選手権で優勝します」

どこまで楽観的なんだ。正直呆れた。果たして、今季の慶應蹴球部の戦績は、ここに改めて記すまでもないだろう。山田自身、記憶に残るトライを量産した。

彼の4年間の軌跡を辿る。学生レベルでは明らかに他を凌駕している。彼も「大学生活には満足しています」と語った。

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2月初旬、筆者の元に、海外から1通のメールが届いた。

「ラグビーというスポーツを職業にし、子供たちに夢を与えられるような選手になりたい」
あの日、国立を吹き抜けた、冷たくも心地よい風は今、遠く南半球の地平を暖めている。

(安藤貴文)

山田章仁
1985年福岡県生まれ。小倉高校~慶應義塾大学総合政策学部。U-17、U-19、U-23日本代表。一昨年、7人制日本代表として臨んだドーハ・アジア大会決勝で後半ロスタイムに逆転トライを決め、日本の金メダル獲得に大きく貢献した。1メートル81、95キロ。