今回は、慶應義塾大学文学部 人間科学専攻の稲葉教授にお話を伺った。人間科学専攻の具体的な研究内容から、社会学専攻との違い、先生ご自身の研究テーマである家族社会学、人間科学専攻に求める学生像など、詳しくお聞きした。
最初に、人間科学専攻で学べる研究分野を教えてください。
基本的には社会学専攻とそれほど違いはありません。人間科学専攻の教員は社会学、文化人類学、社会心理学、心理学の 4 分野からなっています。8 人の教員の専門は、大体その 4つの分野に分かれている感じです。アカデミズムの世界では人間科学という固有の学問があるわけではなく、人間科学専攻が設立された当初、心理学や社会学などの個別の分野に分かれて現象を見るのではなく、4つの学問全てを学んだうえで、総合的に現象を理解することを目的としたのだと思います 。
社会学専攻とほぼ同じとのことですが、細かな違いはありますか?
結局は教員の違いで判断してもらうしかないと思います。設立当初、社会学専攻の中からデータを使う先生たちが移って設けられたのが人間科学専攻です 。その結果、データを使わない理論・学説系の先生は、社会学専攻に残り、人間科学専攻では、データを用いる社会心理学を専門にする先生たちが中心となりました。しかし今では、人間科学専攻も人類学系の質的な研究を行う先生や、社会学系の先生を採用するようになり、違いが明確ではなくなっています 。そのため、皆さんには、個別の先生の専門領域の違いで理解してもらうしかないのかなと思います 。専攻のカリキュラムにはそんなに大きな違いはないと思いますが、強いていえば、人間科学専攻には、数量的にデータを使う方法を身につけられる授業が社会学専攻より多いかもしれないです。
人間科学専攻の雰囲気を教えてください。
現在、教員は 8 人、学生数は1学年 80 人ぐらいで、比較的学生同士や、学生と教員の面識はできやすいと思います。男子の学生の比率は 3 割ぐらいです。他の専攻と比べて、すごく楽しいとか、すごく楽しくないとかっていうのはあまりないのではないかと思います。インスタグラムなどの SNS で、各ゼミの様子を学生が発信しているので、それを見ればある程度雰囲気がわかるかもしれません。
人間科学専攻で学んだことは、将来、どのような点で役に立つと思いますか?
私の分野でいうと、データを集めて分析して、統計学的な手法を使って結論を出すことは実務の世界でも、アカデミズムの世界でも役立つだろうと思います。学生の就職先を見ていると、銀行や商社、コンサルなど、昔だったら文学部では考えられないような業界に行く人が多いですが、どの職業でも、データ分析をしてそこから結論を出すことは求められるので、その点は役に立つと思います。あと、国家公務員や地方公務員になって、地方行政に関わる仕事をする場合、割と政策の勉強は役立つかなと感じます 。
人間科学専攻の大変なところを教えてください。
他の専攻と比べて、極端に大変だということはないと思います。もし大変なところがあるとすれば、いわゆる「即留科目」の中に統計学が含まれているところだと思います。これは完全に数学を使うので、文系の学生の中には身構える人もいるかもしれませんが、それほど難しいことをするわけではありません。それから、3 年のゼミ選びの際に、実質的に自分が何を専攻するのかを決めることになります 。結局、自分は社会心理学、人類学、社会学、心理学の中でどれを専攻するのかを、2 年生の間によく考えなければなりません。
人間科学専攻では統計学や理系の科目を使うとのことですが、授業スタイルは実験が多いのでしょうか?
実習系の授業も確かにあります。そのような授業は、おそらく社会学専攻より人間科学専攻の方が多いと思います。コンピューターを使ってデータを分析する授業があるのですが、それは選択科目のため、必ずしも履修する必要はありません。必修の授業では、ほぼ座学が中心です。
人間科学専攻で面白い授業があれば教えてください。
どの先生も研究実績を持っており、学会でも活躍していらっしゃるので、授業はどれも面白いと思います。強いて言えば、社会心理学に関する授業が多いので、いわゆる実験系の授業を受けることができます 。また、人類学系の授業は、非常勤の先生の授業を含めてたくさんあるため、自分の取りたい授業を選択することができると思います。
普通の心理学と社会心理学との大きな違いは何でしょうか?
心理学は、人間が生得的に持っているものの見方や感じ方、そのメカニズムを明らかにしようという学問と言えます 。その中でも社会心理学は、対人関係あるいは社会関係の中で、人が持つ固有のメカニズムを明らかにしようとする学問だと思います。
文化人類学や社会学の研究対象を教えてほしいです。
人類学と社会学は実はやっていることは似ている部分があるのですが、人類学は、社会現象を文化として捉えるところがあり、現象を文化間で比較することが多いようです。社会学では、文化間比較という視点はそれほど強くありません。例えば、社会学には医療社会学という領域があるのですが、今の日本で脳死判定がどのように行われているのか、あるいは妊娠中絶の是非がどのように考えられているかを研究する分野です 。一方で医療人類学の場合、世界中がフィールドになっていて、日本を事例とする場合でも他国との比較を行います 。やはり方法論的に、人類学は文化間比較を重視するということだと思います。
社会学専攻と人間科学専攻の研究範囲では、人間科学専攻の方が広いのでしょうか?
社会学専攻にも人類学や社会心理学を専攻する先生がいらっしゃいますし、どちらかの守備範囲の方が広いということは、やはり言えないと思います。個々の先生の研究をチェックして、判断していただくしかないのかなと感じます 。教育カリキュラムの違いについても、それほど大きな差異はないように思います 。社会学専攻に入っても、人間科学専攻の授業を履修できますし、人間科学専攻に入っても、社会学の授業は履修できるので、本質的な違いは無いと感じます。
稲葉先生が研究されている家族社会学とはどのような学問でしょうか?
家族問題や家族の変化、制度の研究などがイメージしやすいと思いますが、領域としては結構広くて、私自身は人々のライフコース(人生の軌跡)の研究をしています。具体的には、生まれた家族の影響(貧困や親の学歴)がその後のその人の人生にどのように影響するのかといった問題を扱っています 。最近の研究では、離別母子世帯における離婚後の元父親との関係が子どもに及ぼす影響や、離婚後も元父親や元母親が親権を持ち続ける、共同親権制度が与える影響についての研究などをしています 。また、家族研究で多いのは、ジェンダー平等の研究ですね。家庭内での男性の家事育児参加や、女性が就業と子育てを両立するにはどのような政策が必要なのかなど、様々な研究があります。

稲葉昭英教授
慶應 OB として、学生時代の過ごし方について何かアドバイスはありますか?
大学生はいろいろなことにチャレンジできる時期なので、自分が将来どういう仕事をするのかを考えながら、たくさんのことを経験すべきだと思います 。それから、かつては文学部は勉強したい人が進学するところだったのですが、今はだんだんそうした人がすごく少なくなっていると感じます。文学部は面白い勉強ができるところなのだから、勉強にも関心を持ってほしいなと思います。
教えている上で、稲葉先生が大切にしていることはありますか?
人間科学に限った話ではありませんが、まずは授業を聞いて、理解してもらうことを大事にしています 。授業を聞く前には知らなかったことや、分からなかったことが、聞いた後で分かるようになることで、単純に知識が増えるだけでなく、新しい考え方やものの見方を身につけられるようになると思います 。
人間科学専攻のゼミ生で、留学に行く人はいますか?
ゼミによりますが、私のゼミでは留学を推奨しているので、現在 4 人の学生が留学しています。アメリカへ2名、オーストラリア、ニュージーランドへ各1名が留学しており、留学を終えたらゼミに戻ってきます。
稲葉先生が求める人間科学専攻を目指してほしい学生像はなんですか?
まずは人間科学の先生たちの研究に関心を持っていただくことが必要だと思います 。社会学をやりたい、社会心理学をやりたいといっても、それは社会学専攻でもできます。結局は、人間科学専攻の先生がどんな領域の研究をやっていて、どんな論文を書いているのかを知って、興味を持っていただくことが大事だと思います。あとは、積極的に議論に参加できるような学生が好ましいです。ゼミは先生の話を聞くところではなく、みんなで議論するところなので、そういう議論に積極的に参加できるくらい、研究や社会問題に関心を持っている人に来てほしいと思います。その点、当たり前ですが、新聞やニュースをよく見ることが大事です 。毎日、社会の中で何が起こっていて、人々の間でどんな問題が議論されているのかに対し、社会の一員として問題意識を持ってほしいと思います。また、私は人間科学専攻のカリキュラムは緩やかで、哲学科や史学科、文学科に比べると専門性も高いとは言えないと考えています 。よく言えば、人間科学専攻は、専攻に入ってからでも改めて何を学ぶのかをもう一度考える機会があります。人間科学専攻も社会学専攻も扱う領域は非常に広いので、自分の関心が定まらない場合、とりあえずこの 2 つの専攻を選んでおくのも、私はやり方として「あり」だと思います。
(平山楓)