
安部公房の『砂の女』は、現実と非現実の境界が曖昧になるような不条理な状況を通じて、人間の存在や自由の意味を問いかける作品である。
物語の主人公は、都会で中学校の教師として働きつつ余暇に昆虫採集を楽しんでいた。彼は夏、希少な昆虫を探すため、単身で人里離れた海辺の砂丘地帯を訪れる。地図にも載っていないような村にたどり着いた彼は、地元の村人に勧められ、砂丘の底にある一軒の家に一晩泊まることになる。そこには一人の若い女が住んでおり、彼女は夜通し家の中に入り込む砂をかき出す作業をしていた。
翌朝、男は帰ろうとするが、砂穴から出るためのはしごがなくなっており、外に出られない。やがて彼は、自分が意図せずこの場所に閉じ込められ、村人たちによって労働力として利用されようとしていることに気づく。女と共に、絶えず降り積もる砂をかき続けなければ、この家もろとも生き埋めになってしまうのだ。
男は必死に脱出を試みる。飢えや暑さ、孤独、そして様々な不条理な状況に苦しみながらも、脱出の手段を探し続ける。だが、その中で次第に彼の中に変化が生まれてくる。日々の単調な作業の中に、奇妙な秩序や意味を見出すようになり、女との関係にも次第に変化が現れていく。
『砂の女』は、極限状況に置かれた人間が、いかにして順応し、あるいは内面の価値観を変容させていくかを描く作品である。
『砂の女』を読み終えて強く感じたのは、この作品が単なる監禁劇やサバイバル物語ではなく、人間の「自由」と「日常」の脆さを問いかける物語であるという点だ。主人公は当初、砂の穴から脱出しようと必死に抗う。しかし、その努力が実らず、代わりに彼の内面には、状況に順応し、そこに意味を見出そうとする変化が芽生えていく。この過程は、私たちが日常生活の中で無意識に「自ら選び取った」と思い込んでいる枠組みに順応し、やがてそこから抜け出そうとしなくなる姿にも重なるのである。
(山岸賢太)