
今回紹介する本は、平野啓一郎の「ある男」である。この作品は、2022年に映画化され、翌年に日本アカデミー賞を受賞しており、その名前を耳にしたことがある人も多いのではないだろうか。
あらすじ
弁護士である城戸が、かつての依頼者の里枝から奇妙な相談を受けたところから物語は展開する。里枝は元夫と離婚した後、地元宮崎に戻り、そこで現夫「大祐」と出会う。幸せな家庭を築いていた彼女だったが、ある時、夫である「大祐」は事故で亡くなってしまう。悲しみに暮れる中、「大祐」は全くの別人であるという衝撃の事実が浮かび上がってくる。では、里枝の夫は何者だったのか、また本物の大祐は一体誰なのか。これらの問いを追究するにつれて、「大祐」の知られざる過去が明らかになってきて…。
感想
本作は、物語が展開するにつれて上で示した謎が明らかになっていく、いわゆる典型的なミステリーの構成となっている。もちろんミステリーとしても十分楽しめるが、本作は単純なミステリーには終始していない。
私たちには、持って生まれたある特定の性別・人種などがある。これらが単なる区別としてのラベルに留まるのであれば何の問題もない。しかし、社会を通じてこれらのラベルはプラス・マイナスといった、ある「意味」を持つようになる。それらが差別・排除の意味を持つ場合もある。その結果、自分を表現するものにすぎなかったこれらは、人生を制限しうるものに変化する。実際、性別・人種などのラベルに応じて、社会からある特定の生き方を期待され、あるいはそう生きていかざるを得ないように強要されている人が多くいる。自分のものであるはずの人生を思うように全うすることができないのである。
物語の中でも、人種や親の社会的立場によって自分の人生を思うように生きることのできない人々の様子が描かれている。本作は、彼らを通じて、先天的に持っている要素に対して不合理な意味を付与する現代社会のあり方に疑問を呈しているように思える。この作品が、自分のこれまで生きてきた人生を振り返り、また自分のものであるはずの「人生」のあり方を問い直すきっかけにもなるだろう。
余談
実は、平野啓一郎の作品を読んだのはこの本が初めてではない。「私とは何かー個人から分人へ」という本が私の初めて読んだ彼の作品である。ここではこの本の中で紹介されている「分人」という概念を簡単に紹介したいと思う。
サブタイトルにあるように、この本では「分人」という新しい概念を通じて「私」という存在について論じられている。具体的には、対人関係や環境それぞれを通じて分化した異なる人格の集合として私を捉えるというものである。また、そこでは唯一無二の自分像を想定せず、他者との関わりの中で形成された、複数の異なる人格を全て本当の自分と考える。「私」とは何かを見出しにくい現代において、「分人」という概念は私たちにそっと寄り添ってくれる。「分人」を通じて、私たちは多様な面を持つ自分にもっと素直になることができるのではないだろうか。
(峯和香)