岡啓輔さん

「現代の日本では、ものを作る必要はないけれど、そのような時代に家を作るって面白い」

岡さんは蟻鱒鳶ルを建てる前、建物の設計にあたっていた。「設計は好きだし得意」な岡さんだが、いざ建物が完成してみると、ただ製図版に描いた街が現実になっただけに見えたそうだ。建築に携わった人が他にいるにもかかわらず、その人たちの意思は全く見えてこないのではないかと感じたそうだ。近代化以降、建築にも効率化が図られ、職人それぞれのこだわりを持った建て方から誰でも建てられる設計がスタンダードとなった。しかし今はもう急がなくてもいい時代、過去に戻るのが筋ではないか――。岡さんはこうして自分で自分の家を建て始めた。

「図面描くと満足しちゃうんです」。

蟻鱒鳶ルには詳細な図面がない。それは、作っているうちに「東京タワーが見えるようにしよう」「向かいに女子校があって気になるので面した部分は壁にしておこう」という発見があるからだという。また、初期は手探りで作業していたため、技術力の進歩は未知数として、未来に期待するべきだと考えていたのだという。

そうして建設を進めていた矢先の2009年、蟻鱒鳶ルに危機が訪れる。一帯が再開発計画に指定されたのである。岡さんは知り合いの弁護士や知人とともに事業者に抵抗を続けた。ブログや書籍出版、メディア露出は再開発に対抗するための手段の一つだった。今春から夏にかけて森美術館で行われた「建築の日本展 その遺伝子のもたらすもの」でも蟻鱒鳶ルを紹介する場を設け、展示を見て直接足を運んだ人もいたという。

「相当厳しいけれどだいぶ乗り越えた」といい、現在は交渉が進み、取り壊しとはなっていないという。再開発問題のためにストップしていた3階以上の建設も進められそうだ。だが影響がないわけではなく、ゆくゆくは「曳家」という手法で、建物を地面から離して移動させることが決まっている。

3階の壁面

少しゴールが見えてきた建設作業、完成後の展望を聞いてみた。

「住みます、でも売ります」

「?」が頭に浮かぶ。聞いてみると、所有権は売るが岡さんと奥さんが住めるよう賃貸にしてもらうのだそう。以前、アーティストの杉本博司氏に会った際、「アートとして売るべきだ。君もアーティストになるんだよ」と助言されたという。なるほど、アートを買う人は所有権を持つことが大事で、わざわざ持ち帰ったりしない。建築家からアーティストへ。つくることへの喜びと強い思いが、何年かかっても岡さんがセルフビルドを続ける源なのだろう。

(杉浦満ちる)