写真:『最後の早慶戦』保存会提供
今年、戦後80年、東京六大学野球連盟100周年を迎えた。その長い歴史の中で様々な印象深い出来事が起こってきたが、最も感動を巻き起こしたものの1つに「最後の早慶戦」と呼ばれる出来事がある。「最後の早慶戦」とは、昭和18年10月16日に戸塚球場にて行われた野球部の出陣学徒壮行試合のことだ。これを詳細に記した書籍『学徒出陣 最後の早慶戦』(松尾俊治著)が現在復刊されようとしている。復刊にあたり、10月10日に『最後の早慶戦』保存会が発足した。
敵味方を超えた「海ゆかば」
立案者は、著者である松尾俊治氏の孫の中野雄三郎氏。中野氏は『最後の早慶戦』の中で最も印象に残った箇所として次の場面を挙げている。「試合後、勝利した一塁側・早大応援団から「ガンバレ、ガンバレ慶應」の声がわき上がった。すると三塁側の慶大は全員帽子を振って「ありがとう。ありがとう。」と応える。今度は慶大側から「ガンバレ、ガンバレ早稲田」の声。そして早慶の学生達が一緒になって「若き血」「都の西北」を涙を流しながら高らかに歌った。やがてどこからともなく湧きおこった「海ゆかば」のメロディー。スタンドの学生から学生へと広がり、スタンド全員の大合唱となって、早稲田の社にこだました。そこに早稲田も慶應もない。選手は「今度は戦場で会おう」と互いを励ましあっていた。「これで思い残すことはない」と戦場へ飛び立ち、そのまま二度と還らぬ人もいた。まさに「最後の早慶戦」となった。」
『最後の早慶戦』のあゆみ
『最後の早慶戦』の初版は1980年に発行された。初版発行時には最後の早慶戦から約40年が経っていたため、当事者同士の記憶の食い違いなどにより、松尾氏の取材は相当難航したということが後書きから伺える。2008年に映画化されると同時に書籍も一度復刊したが、その後17年間絶版状態が続いていた。
復刊プロジェクト発足の経緯
中野氏が17年ぶりの復刊を決意したきっかけは、2025年5月に放送されたテレビ朝日「報道ステーション」での特集だった。番組作成にあたり、名誉会長の中野明子氏が取材に協力した。この番組を通じて中野氏は、2025年が戦後80年、昭和100年、そして六大学野球100周年という節目の年であることに気づき「何かできることはないか」と考えたという。さらに、現在の学生や若い世代が最後の早慶戦をほとんど知らないことも、復刊を決意する大きな理由となった。
2008年当時の出版社に相談すると、既にデータが存在しないことが判明。早慶戦というテーマの特殊性から、自費出版をも余儀なくされた。そこで今回の実行メンバーでもある加藤純士氏に相談し、クラウドファンディングを行うことを決意した。中野氏はクラウドファンディングを単なる資金集めではなく、「スポーツを通して戦争と平和を考える運動」としての役割を担ったものにもしていきたいと語っている。
他にも、権利関係の調整や特別賛同者の募集にも苦労を要したというが「ほとんどの方が協力してくれた」と復刊プロジェクトに関わる仲間に感謝を述べた。
『最後の早慶戦』復刊が持つ意義
ウクライナ情勢をはじめ世界各地で紛争が続く今、『最後の早慶戦』の復刊は、若者が戦争や平和の問題を考えるきっかけとなり、当時の感動と早慶の信念を次世代へと繋ぐ意味を持つだろう。中野氏は『最後の早慶戦』について「早慶戦という身近な話題を通じて、特に早慶の学生が戦争を理解するための「入門編」として最も身近で手っ取り早い手段で、ある種の追体験やシンクロを可能にする。他にはない戦争の本だ」と話している。また、明日死ぬかもしれないのに、早稲田の選手が慶應を迎え入れるため、スタンドやトイレの掃除をする姿勢などが記録されており、両校のスポーツマンシップが伺える。中野氏は「早慶両校、ひいては日本の遺産として語り継いでいくという意味からも重要だ」と語った。
あとがきにはこうある。「最後の早慶戦、本当にあの時はそう思った。選手も応援の学生も戦場へ行けば間違いなく死ぬのだという一種の感情の燃焼があった。球場全体が悲壮感に溢れていた。試合後、涙を流しながら一つの塊となって応援歌を歌い続けた。この本を還らざる球友に捧げ、出来る限り語り続けたい」
現在『最後の早慶戦』復刊に向けたクラウドファンディングが実施されている。締切は12月21日。