
大学の学費問題に迫る連載。第三回は、「大学および高等教育の価値」がテーマだ。
特に私立大学を含め、高等教育が廉価で大衆に開かれるべき理由を論じる。
●国立大学の学費の位置づけ
東京大学の授業料の10万余りの値上げをはじめ、国立大学の学費上昇が相次いでいる。
元々国立大学の授業料は一律で同額であった。しかし、2004年の国立大学の法人化により、大学の裁量で本来の授業料から最大20%の値上げが認められるようになった。
しかし、本来、大学教育が個人の利益を実現するためのものではなく、文明の継承ならびに社会の発展に貢献するための公共サービスとしての位置付けであること。また、憲法26条において明記されている「国民が等しく教育を受ける権利」を保障するため、国立大学の学費は出来るだけ低廉であり、国が大部分を賄うとし、また値上げも相当な理由がない限り行われるべきものでないとされている。
一方で、国立大学の学生は厳格な選抜試験を通過したうえで入学を許可されており、その後、高度な専門教育や最先端の研究の機会を享受している。これらの教育環境や研究を通じて、学生自身も高度な知識を習得し、将来的なキャリア形成に有利になるなど、学生自身にも利益がもたらされていることから、学費の一部を学生負担にすること(受益者負担)は許容されると考えられている。
●相次ぐ学費値上げの背景
では、なぜ国立大学の学費値上げが相次いでいるのだろうか。先ほど挙げた国立大学の法人化では学費を含め経営に関して各大学に裁量権が与えられた一方で、国からの交付金は減り、財政面でも自立化が求められた。これを契機に国立大学は財政的に厳しい状況に追い込まれるようになった。
さらに、国際競争力を高めるためのコスト増加や近年の物価高により、国立大学はさらに深刻な財政難に直面したことから、授業料の値上げを行う大学が増えている。
●高等教育が廉価であるべき理由
国立大学の学費の性質と近年の相次ぐ学費値上げの事情を踏まえて、高等教育が廉価で大衆に開かれるべき理由について考察する。
「教育の機会均等の原則」の観点から国立大学の学費値上げを考えた場合、相次ぐ値上げは学生の教育を受ける機会を妨げることに繋がりかねない。確かに奨学金や給付金の拡充によって経済的に困窮している学生を支援することも可能かもしれない。しかし、国立大学は私立大学と比べ公共財としての性質が強く、「教育の機会均等」を実現するため、私立大学と比べ国からの交付金が多く支払われている。したがって、国立大学の授業料の値上げは、国立大学が担うべき公共的な役割と相容れない。
また、少子高齢化に歯止めがかからず、教育費の親負担の削減が求められている中での学費値上げは、教育費の負担をさらに増やし、少子高齢化を加速させるおそれがある。私立大学では学費が恒常的に上がっている中、公共的役割を果たすことがより求められる国立大学は教育費の負担の軽減に寄与するため、少なくとも学費の値上げは行うべきではない。
さらに、現在の大学進学率に伴う家庭の負担を鑑みると、国立大学に留まらず、私立大学の学費も安価に抑えられるべきである。文部科学省のデータによると、現在の学費システムが導入された昭和30年代の大学進学率は10%程度で大学に進学する学生数は僅かであり、進学者の大半は高所得世帯の学生であった。しかし、時代とともに大学進学率は上昇し、2020年には80%以上の学生が専門学校なども含む高等教育機関に進学している。この様な状況では、低所得世帯の学生も高等教育機関に進学しており、低所得世帯にとっては大きな負担となっていることは明白である。従って、私立大学の学費も含め、先ほど挙げた「受益者負担の原則」を適用し、高額な学費を徴収することは適切ではないと言える。
これらの事情から、国立大学はもとより私立大学を含め高等教育は低廉で多くの学生に開かれた存在であるべきである。
次回は、学費問題の当事者である学生が現状をどのように受け止め、いかなる取り組みを行っているのかに焦点を当てる。
〈参考文献〉
1)教育費負担軽減へ向けての研究会(労働者福祉中央協議会) 「高等教育費の漸進的無償化と負担軽減へ向けての政策提言」(2023年)
2)丹羽美貴「学費問題早わかり 授業料引き上げ基本Q&A」『東大新聞オンライン』(2024年)
3)国立大学協会第6常置委員会「国立大学の授業料のあり方について」(1993年)
4)国立大学協会第6常置委員会「国立大学の授業料について」(1985年)
5)クローズアップ現代「大学も学生も限界⁉︎授業料値上げの先にあるものは…?」(2025年)
6)大内裕和『慶應義塾長「国公立大の学費を150万円に」提言の衝撃と問題性』『若者のミカタ〜ブラックバイト世代の君たちへ〜54回』(2024年)
7)文部科学省「大学等進学者数に関するデータ」(2023年)
(大世古葵)